2007年05月13日(日)
「電脳コイル」第1話 メガネの子供たち(NHK教育)感想
評価: 9点[前回比: -](累計: 9/10 平均 9.0)
デンスケと言えば「アキハバラ電脳組」だよねっ。エノケンといえば堀江由衣だよねっ(フランチェスカじゃございませんですの?)。
サブタイトルに期待した私が悪うございました。眼鏡っ娘でもめがねっこでもいいんですが、しかし譲れないものがある。度数のないメガネなんてメガネじゃない! というのを、今日の帰りの会で取り上げたいと思いまーす。さんせいのひと、拍手をお願いしまーす。
いや、嫌いじゃないですけどね、こういうのも。キャラデザはともかく、なかなか気持ちいいUIです。「ヘルプはありません」なんて文字を見るだけで萌えるのも私くらいのものでしょうが。Info.plist にHelpBookを登録しないとっ。
よく判らんと思いつつ観てたらラストに驚き。何ですか、郵政民営化に思うところがあるのでしょうかNHK。まだ全貌が明らかでない作品ですが、さいきん子供向けアニメをあんまり観ていないのは問題だと思うので楽しみにしています。
2007年05月19日(土)
「電脳コイル」第2話 コイル電脳探偵局(NHK教育)感想
評価: 9点[前回比: ±0](累計: 18/20 平均 9.0)
ヤサコちゃんのメガネ、いちおう度は入ってるんでしょうか? なら問題なっしんぐー。
や、なっしんぐでもどっしるとしっしんでもいいんですが、なんとも予想外の方向にはっちゃけてきてますね。どちらかというと好みとはズレるところも多いんですが、まあ、面白いからいいです。ちっちゃいまっくろくろすけ(違)はかわいいですね。
タッチスクリーンUI全盛のご時世に、神速のキーボードさばきを見せるメガばあさんがカッコいいです(しかも US キーボードっぽい)。懐かしいなぁ、コンピューターおばあちゃん(「コンピューター」という表記が既にレガシー)。
てな感じで、やっぱりこの作品も、ヤサコちゃんが以前にこの街に来たときのことが鍵になってくるんでしょうかね? 公開鍵暗号方式、ただしKey原作にあらず、みたいな。
2007年05月26日(土)
「電脳コイル」第3話 優子と勇子(NHK教育)感想
評価: 10点[前回比: +1](累計: 28/30 平均 9.3)
大鳥居といえば、つばめちゃん@林原めぐみだよねっ(いい加減その発想から離れろ)。
権力って便利でしょ〜なお約束に思わず満点をつけてしまいましたとさ。ヤサコとイサコ、って名乗りあうわけではなかったのには意表を突かれましたが。意表といえば実は誰でも使えたメガネビームにも驚きです(何故だか略したくない気分)。
そして何やら鍵を取り出したイサコちゃん。ほほう、ひらくものを狙っていたのですね(懐かしいなぁカスミン)。鍵姫物語ではないですよ。フミエちゃんちぇっくによればアンゴウ屋だそうですが。ということはイサコちゃんは妹ちゃんなのですね(坂口安吾か)。まあ、この世界で判りやすく言えば魔法少女ですか(どの世界だ)。メガばあさんもかつてはうら若き魔法少女だったのかもしれません……と。サッチーやキュウちゃんのようなガジェットから身を守れる人型デバイスでも開発してください。
2007年06月02日(土)
「電脳コイル」第4話 大黒市黒客クラブ(NHK教育)感想
評価: 9点[前回比: -1](累計: 37/40 平均 9.3)
この時代でも「オヤビン」は生き残っているようで。
あんまり感想継続する気はないのですが……。相変わらず、今期でもトップクラスのユーザエクスペリエンスに、観てるだけで嬉しくなってしまいます。まさかこの作品で、どこぞの魔法少女アニメにも引けをとらない戦闘シーンを観られるとは思いませんでした。ダイチ黒客少年クラブもやるものですね。
見た目は派手な闘いでも、やってることはこどもの争いという感じなのか、この二次元と三次元の狭間感が絶妙。電脳という第二の現実がそばにある世界で、それでも変わらず学舎に通うこどもたち。今と変わらぬ教室の中で無刻印キーボードを操り、小学生らしい会話の中にもコンピュータ用語が溶け込むという、この風景はまさにがくえんゆーとぴあ。物語的には、そこから一歩引いた形のヤサコちゃんが軸に動いていくのでしょうが、それとは別に、早くこんな世界が実現しないかなぁと思う私です。今でも、列車の中や街角で、一心不乱に携帯ゲーム端末を操るこどもたちに、私はものすごく期待しているのですよ。
2007年06月30日(土)
「電脳コイル」第8話 夏祭り、そして果たし合い(NHK教育)感想
評価: 10点[前回比: ±0](累計: 66/70 平均 9.3)
夏祭りに、ラムネと幼なじみの絆は永久に不滅。
テーマは果たし愛。あるいは夏休み終わらなければ。若干異界の扉が開いていますよ。NHKアニメにあるまじき「とんでもございません」という誤用が出てしまったのは遺憾なところですが。むしろあるまじきは視聴者のマニアックな趣味嗜好をくすぐる毎回の緻密な描写ではないかと。いやいや、それこそドントコイアルマジロ。ゆかたはセーラーふく未満のおんなのこの制服。イサコさん私も弟子にしてください。イサコ様になる日も近い。
そんな調子で毎回うまいこと本題からはぐらかされてる感じですが、そろそろ役者も揃ってきたところでしょうか。これまで交互に描かれてきたハラケン側の話とイサコさんの話、それがいよいよ、ひとつところに向かう予感。まったく存在感のなかったヤサコちゃん父が実は黒幕だったりして。自分の趣味を仕事に反映できる程度まで偉くなれるというのはいいですね。よぉーしガンバるぞー(やめれ)。
2007年07月07日(土)
「電脳コイル」第9話 あっちのミチコさん(NHK教育)感想
評価: 10点[前回比: ±0](累計: 86/90 平均 9.6)
ウイスキーボンボンでよっぱらう先生がかわいいです。大人でもめがねっこは正義。
例によって冴え渡る脚本に、もはや絶賛ペース。なんか「六番目の小夜子」みたいになってきましたが。ハラケンくんの怖すぎる怪談、現れるミチコさん、廊下の天井にぶつかって首曲がってるサッチーと、見どころ満載。っていうかイサコさん、「私と結合するのよ」って、どんな果たし愛ですか。
2007年07月28日(土)
「電脳コイル」第12話 ダイチ、発毛ス(NHK教育)感想
評価: 10点[前回比: +1](累計: 114/120 平均 9.5)
西暦2007年、アニメの歴史にまた新たな一ページが。
なんなんだこのアニメ……。こちらの想像を絶する展開はここのとこ毎回ですが、今回はさらにその数段上を行く飛びっぷり。思わず筒井康隆を連想する、もはや文学の域に達しているようにも思えてきました。
例によって京子ちゃんになつかれてるダイチくんですが、ここで「おにいちゃん」攻撃なんて生やさしいことにはならないのがNHKアニメの矜持。「School Days」もびっくりの展開にみんな揃ってイノセントブルー。話題騒然のサブタイトルが鮮やかなミスディレクションとなって、最後は今後の展開への伏線もはらみつつ寓話オチ。えいえんはきっとあるよ。
2007年12月01日(土)
「電脳コイル」全26話(NHK教育)総評
パズル完成。
終盤はいろんな意味で大変なことになっていましたけど、なんとか最後までたどり着きました。振り返ってみれば、最初から最後まで完璧なジュブナイル。や、ジュブナイルというものがどういうものなのかよく判りませんけど。ただ確かに言えることは、これは少年少女のための物語、大人がいつの間にか忘れてきてしまった、扉の向こうの物語。ビルドゥングスロマンと言い換えてもいいかと思いますが、まさにその類のおはなし。
イサコが見た、大好きなおにいちゃんと一緒に、永遠に成長しない世界で暮らすという甘美な夢。しかしたとえ物語の中であろうと、否、物語の中であるからこそ、その誘惑は最後には断ち切らなければいけない。必要なのは痛みに立ち向かう強い覚悟。なんだか、「ひぐらしのなく頃に」にもきわめて近いテーマ性が感じられます(猫目がアレだという表面的な意味だけでなく)。まあ、ひぐらしの話はあっちの最終回後にちゃんと書きますが。
痛みの方向へ走る、ふたりのユウコ。胸の痛みを知ることで、少女は初めて大人への階段を上りはじめることができる。鳥居の並ぶ階段の途中、ヤサコとイサコが知った大切なこと。彼女たちの性別を考えれば、この「胸の痛み」というのは、ある現実的な比喩であろうことがうかがい知れます。それもまた、こどもたちの成長を肯定的に描こうとする意思の表れでしょうか。磯光雄監督も関わった「新世紀エヴァンゲリオン」が、(それが成功したかどうかはともかく)主に少年の魂の補完を目指したものだったとすれば、これは少女たちの補完計画だったのかもしれません。ダイチくんがいじられ役になるのもむべなるかな。
物語の「見せ方」という点で言えば、現実の中に、電脳空間というもうひとつのレイヤを重ね合わせて、二つの世界を描くその手法。古くて新しいユーザエクスペリエンスには毎回圧倒されました。ホラーだったりハードSFだったり、最後にはちょっとミステリだったり(よく考えれば「コイル電脳探偵局」だから当然か)。とか何とか考えてしまうのは、自分が悪い意味で大人だから。こういうものをジャンル分けを気にせず見られる、今のこどもたちは幸せです。NHK教育最高。
総点は90点。

2008年05月19日(月)
磯光雄原作/宮村優子著「電脳コイル」5(トクマ・ノベルスEdge)感想
■ノベライズ以上の小説
アニメとはまた違った世界観を疾走する、小説版「電脳コイル」。ここにきて、完全に小説オリジナルのエピソードが描かれ、小説単体としても名作になりそうな予感。唯一「子ども」という表記だけは気になって仕方ないのですが。アニメ以上に徹底して描かれるヤサコとイサコの対立。それが今巻でひとつのピークを迎え、おそらくは両者にとって永遠に忘れられない夏の日の記憶となる。これがアニメ最終話「ヤサコとイサコ」に対応する話だとしたら、この先は、どんなものを描いてくれるのでしょうか。
■茅の輪をくぐる頃に
その特別な「夏の日」というのが、茅の輪くぐりとよばれる神事の行われる日。なんだか「ひぐらしのなく頃に」みたいな、ただし梨花ちゃまの演舞はありません! みたいな。ここでさらに「ひぐらし」との類似点として出てくるのが、こどもと大人という対立軸。ある事件がきっかけとなって、こどもたちが電脳メガネを使うことを好ましく思わない大人たち。少年少女たちに投げかけられる、明確な悪意。これもアニメ第24話「メガネを捨てる子供たち」の変奏とも言えなくもないですが、さらに小説版では、メガネをかけられる年齢に上限がある(実は下限もある)という設定があるので、より意識的に、今後のメインテーマとなってくるものと思われます。ヤサコの祖母・メガばあすら敵かもしれないという台詞まで出てきてるので、かなり殺伐とした話にもなりそうですが、果たして。
■匂い立つ物語
それにしてもこの作品、読んでいる途中で思ったのですが、「匂い」の描写の使い方が実に巧い。ネタばれになるので詳細は避けますが、とある食事の匂いの記憶が、作中のキャラクタが心を通わせるきっかけになったり、イサコという存在を携行するドライジンジャーの匂いで隠喩したり。このあたりはやはり小説の力というべきでしょう。「○○の匂いがする」と小説なら地の文に書けても、アニメでは台詞にするほかなく、くどくなってしまいがち。いくら作画に力を入れても、情景が匂い立つまでの雰囲気を作るのは至難の業。匂いの出るTVが実用化されないかぎり、あるいはハウス世界名作劇場でもないかぎり、それが映像メディアの限界でしょうか。同じように、電脳メガネが映し出す世界にも(おそらく)嗅覚は存在しないので、対比としての生身の世界をより強調している、とも言えます。
