2005年10月8日(土)
「Rozen M-eine」 桜田家のいちばん長い日
典型的な日本の一地方都市に建つ、ごく典型的なたたずまいの一軒家。そこに住まう桜田家の家族構成は、しかし、かなり特殊なものであった。
本来の世帯主とその妻は海外赴任で長期不在。現在ここに住まうのは、その子供たち、高校生の姉が一人と、中学生の弟が一人。弟は現在、流行の先端を行く引きこもり中。そして、その少年を下僕とする、麗しき薔薇人形が四体。
「って、誰が下僕だー!!」
と、地の文にツッコミを入れたのが当の少年、桜田ジュン。
「あら、本当のことじゃない。この薔薇の指輪に誓ったでしょ?」
と、ティーカップを手に冷静に応えるのがローゼンメイデン第五ドール、真紅。
「だから、そんなことを認めた覚えは……だいたい、そこの性悪人形はもううちに住んでないだろ! なんでいつも当然のようにいるんだ!!」
と、ジュンが指さした先で画用紙に絵を描いているのが、鏡面対称の姉妹・翠星石と蒼星石。そのうちの翠星石が顔を上げる。
「黙れですチビ人間。お前が寂しがるだろうと思って毎日来てやってるです。感謝するです」
「誰が寂しがるかっ!」
「かけたー!! ジュンー、ヒナ、ジュンの顔描いたのー。みてみてー」
と、ジュンの顔面に突進してきたのが残る一体のドール、雛苺。
「どわっ! お前な、そんなくっつけたら何も見えないだろ……ってこれが僕ー!?」
「まあ、そっくりだわ」
「実物より男前ですー」
「バカ言うな! 僕は認めないぞー、こんなの……あれ……?」
と、ベッドから立ち上がろうとしたジュンだったが、ふらふらと体勢を崩す。そして、そのまま床に倒れ込む。
「……ジュン?」
「なにー、どうしたのー? ジュンもねじがきれちゃったのー?」
「いや、雛苺、ジュンくんにねじはないだろ……」
「とりあえず、のりを呼んできましょう」
「……39度2分。やっぱり風邪みたいね」
数分後、薔薇乙女たちの知らせを聞いて部屋に駆け込んできた姉・桜田のりによって、ジュンはベッドに寝かしつけられた。
「そう。今日はいつもより顔が赤かったから、気にはしていたのだけれど」
「ごめんね、ジュンくん……お姉ちゃん、気づいてあげられなくって」
「……いいよ、別に」
「まったく、人間とは不便な生き物です。そんなにベッドで寝るのが好きですか?」
「翠星石ちゃん!!」
珍しく語気を強めるのりに、翠星石はハッと口をふさぐ。
「……ごめんなさいです」
「ジュンくん……。本当なら私、学校休んで看病してあげたいんだけど、今日は中間テストでどうしても休めないの。ごめんね、昼前までだから、終わったらすぐ帰ってくるから」
「いいってば」
「それじゃあ、お姉ちゃんもう行くね。真紅ちゃんたち、よろしくお願いね」
「判ったわ。心配しないでいってらっしゃい」
部屋の扉を開け学校へと向かうのり。それを見届け、なんとなく真紅と目線を合わせるジュン。
「…………」
「さ、みんな、下へ行きましょう。そろそろ名探偵くんくんがはじまるわ」
「はーい」
「って、病人よりそっちの心配かい!」
ジュンのツッコミが力なく響き、そして扉は閉ざされた。
飲まされた薬が効き始めたのか、起きたばかりというのに、早くも深い眠りの中に落ちてゆくジュンの意識。
ふだんの就寝とはまた違う、病気のとき特有の、倦怠感と閉塞感の入り交じった感覚。
このまま、もう二度と目を醒まさないかもしれない。
病気になるたび、そう思う。
それもいいーー。そのたびに、そう思ってきた。
こんな生活をいつまでも続けるよりは、いっそのこと、終わりを迎えてしまいたい。
体力的にも精神的にも弱っている状態の中で囚われる、甘美な願望。
停留。
頽廃。
終息。
でも、今は。
「彼女」と出逢って、自分を知って。
そばにいて、支えてくれる人の存在を感じて。
そんな中で、自分だけ消えることを願うなんて。
それはーー。
それは無責任だ、と、ちょっとだけ思う。
何を考えているのやら。
こんな自分が、今さらそんなこと。
こんな事を考えてしまうのも、きっと熱のせいだ。
早く眠りに落ちよう。
そういえば、最近よく夢をみる。
前みたいな、悪夢じゃなくって。
夢の中には、いつも、あいつが。
今日もまた、観られるといいな。
「ジューン! これたべてげんきになるのー!」
「ぐわっ……」
雛苺のタックルを受け、夢から醒めるジュン。
「お、お前な……」
「あれ? ジュン、なんかベッドの中に変なモノあるよ?」
「だーっ! やめろ!!」
と、続いてドアから真紅たちが姿を現す。
「あらあら、ダメよ雛苺、病人はもっとやさしく扱わないと」
「真紅……」
「ちょうどくんくんが終わってから、『3分間クッキング』をやっていたのよ。滋養がつきそうだったから、見よう見まねで作ってみたわ」
「さー人間、翠星石たち特製の手料理を召しやがれですー」
「翠星石はあんまり手伝ってないけどね」
「何を言うですか蒼星石! 台所を使うための台座を三つも並べたです!」
「なかなか手が届かなくて大変だったわ。材料もどこにあるかよく判らなかったから、適当なもので代用したわ」
「待て! 今聞き捨てならないこと言ったな!? だいたい何を作ろうとしたんだ!」
蒼星石が、持っていた鍋の蓋を開ける。
「蒸し焼き鶏のチーズグラタンだそうです」
「……3分で作れるのか、そんなもん? っていうか、これはどう見てもおかゆにしか見えないんだが」
「あらそう? なら結果オーライじゃない。さ、お口を開けて」
と、散り蓮華で中身をかき混ぜる真紅。
「ちょ、ちょっと待て、お前何を……」
「何をって、食べさせてあげようとしてるんじゃない」
「はい、あーん」
「…………」
差し出された散り蓮華に、無言で口をつけるジュン。
「あら? 余計顔が赤くなったみたい。やっぱり失敗だったかしら」
「い、いや、そんなこと……ぶっ!!」
大きく咳き込み、ベッドに倒れ込むジュン。
「まあ」
「お前ら、いったい何を入れたんだ……いやいい、聞きたくない……」
そのとき。
大きな音を立てて、部屋の扉が開かれる!
「じゅじゅ、ジュンくん、ただいま! 無事!? 今台所覗いたらものすごいことなってて、まさかドロボーさんが……」
と、部屋を見渡すのり。
「あっ、あの、これはですね……」
と、蒼星石が釈明しようとするが、時既に遅し。
「……こーらー!!!」
しばらくして平穏を取り戻したジュンの部屋。
「……ごめんねジュンくん。真紅ちゃんたちには私からちゃんと言っておいたから。でも、あの子たちも悪気があってやったわけじゃ」
「判ってるよ。いつものことだろ」
そういってそっぽを向くジュン。のりは少し微笑んで、体温計を取り出す。
「まだ熱、下がらないわね」
「あれで下がる方がおかしい」
「明日からは連休だし、お姉ちゃんもずっといるから、安心して休んでてね」
「……その、ごめん、姉ちゃん。いつも、いろいろ」
聞き取れないほど小さな声だったが、のりにはしっかりとその言葉が届く。
「いいのよ、ジュンくん。お姉ちゃんもね、いつも不安に思ってるの。わたしは、ジュンくんに充分やってあげてるだろうかって。学校にいるときも、いつも気になって気になって、勉強が手につかないくらい。今日のテストも散々だったわ」
「いや……ちゃんと勉強しろよ」
「ごめんね、今のは冗談。でも、家に帰ってきて、ジュンくんの顔を見ると安心するの。よかった、今日もちゃんとジュンくんがいてくれたって。変だよね、家 を出るのはわたしなのに、いつも、ジュンくんのほうが突然いなくなっちゃうんじゃないかって思うの。朝、登校するとき、いつも」
「姉ちゃん……。大丈夫、僕、姉ちゃんの知らないうちにどこかに行ったりしないから。それに朝だって、……そのうち、姉ちゃんひとりじゃ」
「ジュンくん……」
ぱたん、と、扉の閉じられるような音を聞いたような気がした。
夜。薔薇乙女たちにとっても人間にとっても、眠りの時間である。
「さぁみんな、今日はわたしの部屋で寝ましょうねー」
「わーい、のりといっしょにおねんねー」
「お泊まり会かよ」
「じゃあ、あたしたちは爺のとこに帰るです。達者で暮らせです、人間」
「……健康第一」
と、窓からとび去っていく翠星石・蒼星石姉妹。
「……あいつら、けっきょく今日も一日中うちにいやがったな」
「じゃあジュンくん、おやすみ。気分が悪くなったら、そこのバケツを鳴らしてくれたらすぐ起きるから」
命名、のりちゃんコール。
のりの後に続いて、雛苺も部屋をあとにする。最後に、真紅が部屋を出……る前に、くるりと振り返る。
「……?」
「人間が病気をするのは、弱いからなの」
「な、何だよ急に」
「でもね、その弱さが人間の強さでもあるのね。不安定な肉体と精神、それを自覚するために、こうしてときどき風邪というものをひくのだと思うわ。それは、たくましく生きるため。だから、負けちゃダメよ」
「……判ってるよ」
「それじゃあ、お大事にね、ジュンくん」
「……! だからそれはやめろっての!」
そうして、桜田家の誰にとっても長い一日が、ようやく終わろうとしていた。
翌朝。
「……あのなぁ〜」
「ごめんねぇ、ジュンくん……ごほごほ」
昨日の朝と同じような光景が、今度はのりの部屋で繰り広げられていた。
「お前まで風邪ひいてどうするんだよっ! 仕方ないな、僕はもう治ったみたいだから、今日の食事は僕が作るか」
「また昨日みたいにヒナが作るのー」
「それはお断りだ」
「まったく、風邪をうつし合うなんて、つくづく人間は不便な生き物です〜」
「そうね、翠星石。でも、ちょっとだけうらやましいわ」
「え? なんて言ったです? 真紅」
「なんでもないわ」
(終)