まよいスパ

(「Mayoi MyMy.」改題)

 ある日の放課後。学校からの帰り道、僕の後ろ斜め下からかかる、幼い声。
「パパラギさん」
「京都の三条にある本屋みたいだな……。僕の名前は阿良々木だ」
「失礼。噛みました」
「違う、わざとだ……」
「噛みまみた」
「わざとじゃないっ!?」
「神谷明」
「僕の声優っ!? いや、有り得無いだろそれ!」
 どんないい声なんだ、僕。
 ……と、まあ。
 お約束といえばお約束、通り一遍決まり切った出逢いの挨拶を交わす、僕たち。
「お久しぶりです。阿良々木さん」
 そうして、あらためて僕のなまえをよぶ、その少女の名前は八九寺真宵(はちくじ・まよい)。よばれた僕、阿良々木暦(あららぎ・こよみ)。
「……っていうか、最初からちゃんとよべよ……」
「おやおや、いけませんね阿良々木さん。マンネリズムを恐れてはいけませんよ。こういうのは伝統芸能なのです。朝の子供向けヒーロー・ヒロイン番組でも、正義の味方は毎週同じような変身シーンをくり返してるではないですか」
「それはバンクって言ってだな、厳しいスケジュールの中、少しでも制作の手間を省こうという涙ぐましい努力のたまもので……ハッ!?」
 こちらの顔をじっと見る、八九寺。
「す、すまん八九寺……。いたいけな小学生女子の夢を壊すようなこと言って」
「いえ別に。それよりもわたしには、どうして阿良々木さんがそのような事情に詳しいのかという素朴な疑問が」
 そっちかよ!
「い、嫌だなぁ、そこはそれ、大人の常識というか、経験者は語るというか」
「そうですよね、阿良々木さんはそうやって、毎週のお約束の変身シーンを楽しみにされているのですよね。まさに釈迦に説法、出すぎた発言でした」
「っておい!」
 嫌な小学生女子だった。
「……で? どうしたんだ今日は」
「そうです。実はわたし、先日、ある恐ろしい場所を発見してしまいまして」
「恐ろしい場所……?」
「はい。それはもう、まさに怪異と言うべき」
 怪異。
 その非日常の響きを伴う言葉は、しかし、他ならぬ僕にとっては聞き慣れた響きを持つ言葉であって。そしてそれは、目の前にいるこの少女にも言えることで。
 ついこの前、僕とこの少女が出逢ったきっかけを思うだけで、それは、けっして軽々しく口にしていい言葉ではない、はずなのに。
「古い日本家屋風の建物です。中は結構な広さのはずですが、入口から一見したところは、それを感じさせないそうです。中に入った人はみな、原始の心に還り、血で血を洗うような惨劇がくり広げられているという……」
「それは、また……」
 大層な怪異のようだった。
 ちっ、こんなとき、あいつがいてくれたら。
 いや。
 待てよ。
「八九寺、お前、さっきから伝聞形ばっかりだけど、お前自身が中に入ったわけじゃないのか?」
「はい」
「ってことは、お前がその惨劇とやらに巻き込まれたわけでもないんだな?」
「ええ、幸か不幸か」
「幸か不幸かって……それはどう考えても幸だろ」
「ここは福岡」
「違う! いや、たしかに、ここが日本のどこかってことは作中でもはっきり書かれてなかったような気はするけど、十中八九福岡じゃねぇよ!」
 それだと、同じ作者の別シリーズの舞台とかぶるし。
「失礼。噛みました」
「違う、わざとだ……」
「噛みまみた」
「わざとじゃないっ!?」
 って、待て待て。
 最初に戻ってるぞ。いつ「振り出しに戻る」のマスに止まったんだ?
「阿良々木さん。人生はゲームではないのですよ」
「それはそうかもしれないけど、お前にだけは言われたくないな!」
「ゲームと同じだと思って小学生に手を出すと捕まりますよ」
「そんなことはしない! 断じてしない!! それに僕はそんな内容のゲームなどしない、見たこともない! 第一まだ18歳未満だしな!」
「何故、そこまで否定文を重ねるのです」
「…………」
 話を戻そう。っていうか、戻させてください。
「えっと、けっきょく、今回の怪異、お前が直接被害をこうむったわけじゃないんだろ?」
「端的に言えば、そうですね」
「それともなにか? その……お前の、知り合いとか、そういう人が中に閉じこめられて出てこれないとか」
「いえ、特には」
「じゃあ……。はっきり言って、今回は僕たちがわざわざ首を突っ込むこともないんじゃないか? 言っちゃ悪いが、お前には何の関係もないんだし」
「阿良々木さん」
 そう僕をよびかける声は、いつになくはっきりと。
「阿良々木さんらしくありませんね。その発言は」
 ムダに倒置法。でも、ここはツッコむべきところじゃない。
「阿良々木さんの発言とは思えません。あの日、わたしを——何の関係もないわたしを助けてくれた、阿良々木さんの発言とは」
「…………」
 ああ、そうだ。
 お前の通りだよ、八九寺。
 何を弱気になっていたんだ、僕は。
 あいつが、もうこの街にいないから? それとも、あの日、僕が八九寺真宵に出逢ったあの日、僕の横にいた彼女が、たまたま今ここにいないから?
 違う。それは全部、言い訳だ。
 そんな言い訳——戯言は、阿良々木暦の、キャラじゃない。
 危うく、自分のキャラを見失うところだった。
 二次創作だからって、キャラが変わっていい訳あるか。
「わかったよ、八九寺。それじゃあいっちょ、お節介、焼いてやるか」
「ありがとうございます、阿良々木さん。ビキニ着ます」
「それを言うなら、恩に着ますだ! どんなサービス精神だよ小学5年! っていうか、着てくれるのか、僕の前で!」
「お望みとあらば」
「くっ……だから望んでねぇよ!」
 一瞬言葉に詰まってしまった、神よ我を許したまえ。
「でも意外ですね。阿良々木さんはこう見えて紳士ですから、小学生の水着はワンピース以外認めないと言うかと思いました」
「どんな紳士だよそいつは! しかも学校指定の紺色しか認めないとか言うんだろ!」
「夏の間は阿良々木さんに逢わないほうがいいかもしれませんね。学校帰り、水分を吸って膨らんだプール袋を見られただけで欲情されると困りますから」
「するかっ!!」
 相変わらず、いい締めが台無しだった。

 ∗

 そして、数時間後。
 八九寺の言う、惨劇の在処を求めて、僕たちは。
 絶賛迷い中だった。
「って、迷ってるのかよ!」
 誰に届けるともなく、空中にツッコミを入れる僕。
「違いますよ阿良々木さん、それを言うなら、さ迷ってるです」
「一文字違うだけだろ……。どう違うんだ、それ」
「オメガさ迷ってます」
「オメガって言うなぁ!」
「めがっさ迷ってます」
「黙れ! どうしてそんな、極めて特殊な分野の流行に敏感なんだよお前は!」
 こんな会話をしつつ、かれこれ二時間。
 あっという間の二時間でした。
 そりゃまあ、こいつと話してるのは楽しいけどさ。いい加減、お開きにしてもらいたい。
「何言ってるんですかっ阿良々木さんっ。これから二次会ですよっ!」
「どうしてそんなテンション上がってるんだよお前は! 上司が帰ってからが飲み会の本番だってタイプかお前は!」
「とはいえ、わたしもそろそろ疲れました。足がぼろぞうきんです」
「そんな児童酷使した覚えはねぇよ! テナルディエか僕は! コゼットなのかよお前は!」
「じゃあ、阿良々木さんの彼女さんがエポニーヌですね」
 うわぁ……。
 お前、それ、戦場ヶ原の前で言えるか?
「あいつなら、案外喜びそうな気もするのが怖いな……」
 まあ、僕も自分がジャン・ヴァルジャンだと言う気はさらさらないので、この話はここまで。
「っていうか、この場合責められるのは僕じゃないだろ。その怪異屋敷の場所を知ってるのはお前なんだから、しっかりしてくれよ」
「ふふふ。なめてもらっては困りますね。お忘れですか阿良々木さん、望む場所にそうやすやすとはたどり着けない、それがこの八九寺真宵のパーソナリティなのですよ」
「誇ったように言うな! っていうか、そのキャラづけは微妙に間違ってるぞ」
 八九寺真宵は単なる方向音痴だった。そんなキャラづけってどうよ?
「方向音痴って、奉公恩知と書けば、もののふの薫りがしませんか?」
「しねぇよ!」
「あ、そうですよね、阿良々木さんの場合、鎌倉時代より戦国時代のほうが好きですよね。失礼しました」
「黙れ! 小学生が余計な気を回すんじゃない!」
 ちなみに。
 ごく一部に期待されている方がいるといけないので勧告しておくが、この掌編、僕こと阿良々木暦と、目の前にいる八九寺真宵の他、いっさいの名前を有した原作由来のキャラは姿を見せないので、あしからず。
「PL法の精神をまっとうして、肩の荷も下りたところで……そろそろ本当に着かんもんかね」
「あ、着きましたよ阿良々木さん」
「早っ!」
 御都合主義、ここに極まれり。
 二次創作だからって、なんでもありだと思ってないか?
「っていうか、これって……」
 僕の前に立つ、八九寺真宵がその小さな指で指し示した先には。
「……あー、八九寺、これは……。総員、第一種戦闘配置とか、そういうオチか……?」
 固い言い方をすれば、公衆浴場とか。柔らかく言えば、おふろやさんとか。
 古き良き日本の風景、銭湯だった。
 もちろん、怪異のかけらも感じられない。
「……まあ、こいつの特異な日本語能力を思えば、予想してしかるべきだったかもな」
「いわゆるひとつの、伏線という奴ですか」
 そこの小学生、ミステリをなめた発言は厳に慎め。
「なるほど。これが音に聞く銭湯というものですか。わたし、生まれてこの方、この手の施設には縁がなかったもので」
 まあ、最近はそうだろうな。僕だって、そう何度も入ったことあるわけじゃないし。
「ということで、阿良々木さん」
「……何だ?」
「ここはひとつ、実地調査と参りましょう」
「って、入っていく気かよ」
「もちろんですよ。何を怖じ気づいているのですか。据え膳食わぬは高楊枝と言うではないですか」
「混ざってるし、そもそも違う! 何で僕がお前といっしょに銭湯に入らなくちゃ」
「ちなみに、わたしは女湯のほうに入らせてもらいますが」
「…………」
「何も、そんなあからさまにガッカリした顔をなさらなくても。わたしとて、日頃からお世話になっている阿良々木さんのお背中を流したいのは山々ですが、条例ですから仕方ないのです」
「そうか、条例なら仕方ないな……。って、ガッカリした顔なんてしてないっつーの」

 ∗

>

 そんな感じで、両名、第一種銭湯配置。
 まだ日が高いからか、あるいは今日日の巷の銭湯はこんなものなのか、僕たち以外には客はいなかった。と言っても、もちろん、僕が女湯まで確認したわけではなく、ただ壁の向こうから聞こえる声が八九寺のものだけだったことから推測した次第である。脱衣場の、いかにも心許ない木製の鍵や、ジェットバスといった銭湯の設備にいちいち歓声を上げる八九寺の様子を聞いていると、こいつもごくごく普通の女の子なんだなという感慨があった。
「やはり大きい湯船は気持ちがよいですね。42°C はわたしにはちょっと熱いですが。42は死に通じると言うあたり、まさに極楽極楽と言ったところでしょうか」
 前言撤回。
「うまいこと言ったみたいな顔が目に浮かぶぞ……」
「阿良々木さんは妄想が激しいですね」
「妄想じゃねえよ!」
「阿良々木さんは激しいですね」
「略すな!」
「しかし、こうしてバカ阿良々木さんと話をしていると」
「修飾語の位置が違う! 『バカ』は『話』にかかるんだろ、そうだろ!?」
「阿良々木さんとバカバカ話をしていると」
「そんなマシンガントークの応酬は嫌だ!」
「阿良々木さんとバカ話をしていると、まるで親子みたいです」
「そうそう。……って、親子かよ。せめて兄妹とか言えよ」
「なるほど。阿良々木さんは妹属性と」
「そういう意味じゃねぇよ!」
「やはりここは、互いの距離を縮めるべく、『おにいちゃん』とおよびすべきでしょうか」
「僕はお前と距離を遠ざけたいよ! 天文学的な距離で!」
「ベガとアルタイルぐらい?」
「逆に近く感じるー!」
「おにいちゃーん」
「うわっ、不意打ちでよぶなっ!!」
「こよみくーん!」
「やーめーろー!!!」
 と、まあ。
 面と向かってはとても言えない、恥ずかしい台詞の応酬を壁越しに繰り広げる僕たちだった。
 ある意味、死闘と言えなくもなかった。

 ∗

 湯上がり。長湯したせいですっかりのぼせてしまった。扇風機の前で涼みながら、宇宙人ごっこをしたい誘惑と戦っていると、番台の横の一枚扉がギッと開く。と、女湯のほうから同じく風呂上がりの八九寺が出てきた。
 浴衣姿で。
「…………」
 僕も今更、その浴衣はどこから用意したんだなどという些末なツッコミはしない。と思っていると、あーら似合ってるじゃないまよいちゃんおばさんの娘もそのくらいのころはカワイかったんだけどねぇ浴衣とっておいて良かったわぁ返しに来るのはいつでもいいからねぇと、いかにも説明くさい台詞を並べる番台のおばちゃん。この人もただ者じゃないらしい。
「ありがとうございます。今日は近所の阿良々木さんのおにいちゃんとたまたま散歩していたらこの銭湯の前を通りがかって、わたしがわがままを言っておじゃまさせてもらいました。銭湯というのが、こんなに身も心もぽかぽかになれるところだとは思いませんでした」
 と、こちらも如才なく言葉を返す八九寺。お前も何で説明口調になってんだよ。しかも、やけに褒めるな。惨劇の場とか言った手前、罪滅ぼし編のつもりか。
「阿良々木さんのおにいちゃん」
 そう言って僕のほうに寄ってくる八九寺。
「そのよびかたはやめろ」
「わたし、あれを飲んでみたいです」
 と、八九寺が指さしたその先には、業務用の冷蔵庫。ガラス張りの中に並ぶのは、昭和の形をしたガラス瓶。
「……王道だな」
「かねてより聞き及んでいます。およそ人が銭湯という地に足を踏み入れたならば、それを飲まずしてその地を立ち去る事なかれと。それはまさに、天が我々に与えたもうた祝福の飲み物。風呂上がりという特別な時間・空間でこそ味わうことが許される奇跡」
 言うことがいちいち大げさな奴だった。
 っていうか、今更ながら、お前の銭湯観は明らかにおかしい。
「まあいいか……。えっと、牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳とあるみたいだけど、どれにするんだ?」
「牛乳牛乳って、阿良々木さんはそんなにわたしの体の発育具合が気になるんですか!」
「勘繰りすぎだ!」
「それにわたし、これでもけっこう発育はいいほうなんですよ? お逢いしたその日に言ったでしょう?」
「さ〜あ、そうだっけ、そんな設定あったかなぁ」
 地の文じゃなければ本当のことを言ってなくてもアンフェアにはならないし。
「!……なんだか、今日の阿良々木さんはあの日の阿良々木さんとは違うみたいです。わかりました。そこまで阿良々木さんが小さいほうがいいとおっしゃるのでしたら、フルーツ牛乳にします。実は、八九寺真宵はフルーツ牛乳を飲むと、パイナップルに含まれるブロメラインが体内のタンパク質を分解し、ちびっこ戦士まよいマイマイに変身するのです」
「無えよ! そんなアニメみたいな設定は!!」
「やはり阿良々木さんが好きな変身シーンは、朝の子供向け番組よりも深夜の大人向けアニメだったのですね」
「冒頭の話題を今更蒸し返すなー!!」
「おばさーん、フルーツ牛乳一本ください」
 あいよーと、今までの僕たちの会話をまったく聞いていなかったかのような素振りで受け答えする番台のおばちゃん。ただ者ではないからこその芸当だった。
 僕が代金を払い、八九寺がフルーツ牛乳の瓶を受け取る。すぐ口に運ぼうとして、不思議そうに瓶のふたを見やる。
「……? これ、どうやって開けるんですか?」
「ああ、それはこの小さい針を使って……ちょっと難しいかな、僕がやろうか?」
「いっ、いいです! ひとりでやれます!」
 拒否された。ツンデレの練習だろうか。
「こう見えてもわたし、針と糸の使い方には慣れているのです。ちょっとした密室ならひとりで作れます」
「作るなそんなもん! 普通、マフラーとかぬいぐるみとかだろ、女の子としては」
「そうです。実は阿良々木さんの誕生日プレゼントに、ひそかに手編みのマフラーを」
「それは驚きだなぁ! 僕たち、そういう仲だったんだ」
 しかも、先に言っちゃ意味ないだろ。
「冗談ですよーだ。本当はお母さんにあげるんです。……んっ、んっ」
 強がりを言いつつ、それでも二、三回の試技失敗ののち、ふたを開けることに成功した八九寺。嬉しそうに瓶を両手で持ち替えて、口に運ぶ。
 喉を鳴らしながら、一気にフルーツ牛乳を飲み干す八九寺。丈の合っていない袖口から、すこしだけのぞく小さな手。白地に桜の模様の浴衣からは、湯上がりにほてった八九寺の健康的な肌が、すこし透けて見えて。
 いや、別に、ホントに変身するなんて期待してたわけじゃないけど。
「ふぅ。ごちそうさまでした。……? どうされました、阿良々木さん? はっ、すみません、わたしとしたことが。小学生の飲み残しの牛乳瓶に口をつけたいというささやかな夢に気づきませんで」
「そんな嗜好は持ち合わせてねぇよ!」
 と、本日何回目か判らないツッコミを返す僕。そう、最初から最後まで、この調子で。
 ごく普通の、日常のままで。何の変哲もない普通の小学生と、普通の高校生として。
 何の怪異にも巻き込まれずに終わることのできた一日を、本当にありがたく思う。
「さて、そろそろ帰ろうか」
「そうですね。今日は本当に、ありがとうございました」
 そうして、銭湯ののれんをくぐって外に出る僕たち。
「ところで阿良々木さん」
「なんだ?」
「小学生といっしょに銭湯に行く高校生、というのは、世間一般的にはあまり普通とはよべないかと」
「それは言うな」

 ∗

 後日談というか、今回のオチ。
 翌日、いつものように二人の妹、火憐と月火に叩き起こされた。休日なんだからもう少しゆっくり寝かせてくれてもいいのにと思いつつ、ダイニングで朝食を摂っていると、電話が鳴った。誰も出ないので僕が受話器を取る。
 電話の主は戦場ヶ原だった。
「ゆうべはおたのしみでしたね」
「…………」
 いや、そんなネタはいいから。
 っていうか、僕と八九寺以外は登場しないんじゃなかったのか。
「姿を見せないと書かれてたんじゃなくって? 本当は直接押しかけたいところだったけど、電話越しならアンフェアの一線は越えないと思って」
 妙なところで律儀な奴だった。
 なんでも、昨日の銭湯は戦場ヶ原の行きつけのところだったそうで、番台のおばちゃんとも顔見知りだったそうだ。小学生の子供と高校生という珍しい組み合わせが巷間にのぼったらしく、天性の勘で当たりをつけた戦場ヶ原が僕のところに苦情お問い合わせのコールをしてきたというわけだった。
 おばちゃん……。
 ただ者ではないと思ってたけど、これほどまでとは思わなかった。
「ずいぶん仲がいいから、親戚同士かと思ったらしいわよ。楽しそうに洗いっこしてたらしいって」
「待て! 話に尾ひれがついてるぞ!」
 今回の怪異は魚類だったのか。なんちゃって。
「……ねえ阿良々木くん、私と阿良々木くんって、恋人同士って設定だったわよね」
 設定だなんてそんな水くさい。僕と戦場ヶ原の仲じゃないか。
「そんな仲のいい私と阿良々木くんが、いっしょに銭湯にも行ったことがないのはどうしてかしら」
「いや、でも、どっちみち男湯と女湯に分かれるんだし」
 さすがに、戦場ヶ原と湯船で壁越しに話す勇気は出ない。それとも、神田川ごっこでもするつもりだろうか。
「温泉なら問題ないわ」
「はい?」
「山奥のこぢんまりとした旅館。カップルや家族連れにうってつけの貸し切り露天風呂」
「いや、さすがにそれは……」
「ただし水着着用」
「…………」
「今度の連休までに予約しておきなさい」
「……らじゃ」
 まあ、何にせよ。心躍る申し出だった。
 次に八九寺に出逢ったら、お礼を言っておこう。対価が銭湯代、小学生一人とフルーツ牛乳一本なら安いもんだ。温泉みやげも買ってきてやろう。

(終)

2007.04.01 by plateau