ひたぎムーン

 月見をしなさい——と。
 そんなふうに、言ったのだった。
 そんなふうに言って、戦場ヶ原は、僕を月見に連れ出した。
 らしいと言えば、これ以上なくらしい。
 それが、戦場ヶ原ひたぎのパーソナリティ。
 もちろん、その言葉に至るまでに、あれやこれやの紆余曲折はあったのだが。
 例によって、いつのことなのかはっきりしない。
 月見、というくらいだから、おそらくは秋なのだろうという程度の、あやふやな物語。
 ただ、言えることがひとつ。
 これは、僕——阿良々木暦と、戦場ヶ原ひたぎの、だだあま恋愛物語。
 それ以外の、何物でもない。

 * 

 ということで、本編。
「とても不愉快なことを言われた気がするわ」
 と、唐突にそんなことを言って、僕を睨む少女。
 戦場ヶ原ひたぎ。
 僕の彼女だった。
「……あのー、ガハラさん? 藪から棒に何を?」
 日課の課外授業。戦場ヶ原から指示された問題を解いていた手を止めて、僕が問い返すと、
「藪をつついて蛇を出してるのはあなたのほうでしょう、阿良々木くん」
 そう返された。
 千石のことを言っているのだろうか。
「まったく、阿良々木くんはお人好しなんだから。だからいつまでたっても藪高校生なのよ」
「高校生に藪なんて接頭語はつかねえよ!」
「それで、やぶら木くん、問題は解けたの?」
「人を落語に出てくる長い名前の一部みたいに呼ぶな。僕の名前は阿良々木だ。……って、だからそれは八九寺の持ちネタだろうが」
 もしかして、ブームが到来しているのだろうか。
「失礼、噛みました」
「違う、わざとだ……」
「神は私よ」
「やっぱ戦場ヶ原だ!」
 ふふん、と、戦場ヶ原は満足そうな嗜虐的表情を浮かべて体を反らす。
「冗談よ。いくら私でも、神を僭称するほど不遜じゃないわ」
「ああ、そうですか」
「それに、この国じゃ神なんて八百万もいるじゃない。希少価値も何もないわ」
「お前は神以上に傲岸不遜だよ!!」
 一粒のお米には七人の神様がいる、と教えてくれたおばあちゃんにあやまれ。
「日本の狭い住宅事情を象徴しているような逸話ね」
「そんな話でもねえよ」
 仕方ないわ——そう言って、戦場ヶ原は、もたれかかっていた障子の、その奥を見通すような目をする。
「神とか——宗教とか、そういうのは、もう、うんざりなのよ」
「…………」
 それは、戦場ヶ原にとって忘れられない、否、忘れてはいけない記憶。
 言ってしまえば、僕と戦場ヶ原が、こうした関係になるきっかけとなった「怪異」にしても。
 蟹。
 あるいは、神。
 怪異と神は、文字通り、紙一重——。
 ふふっ、と、戦場ヶ原は唐突に、笑い声を上げる。
「そういえば、阿良々木くん、前におかしなことを言っていたわね。昔、酷い神様が、月に兎を晒し刑にしたとか」
「え? ああ……」
 よく憶えてたな。
「っていうか、だから、そういう話じゃないんだが」
「阿良々木くんの話はいつだって要領を得ないけれど、あれは輪をかけて何が言いたいのか判らなかったわ」
「相変わらず、言いたいこと言ってくれるな……」
「でも、月に兎がいるだなんて、今思うと、とても阿良々木くんらしい発想だわ」
「? お前のほうこそ、何が言いたいのか判らないぞ」
「兎って、とても性欲が強い生物なんですってね」
「痛いほど判ったぞ! お前の言いたいことが!!」
 そりゃあ、僕だって健全な男子高校生だから、その方向性を否定はしない。
 しかし、それはむしろ、お前か神原の方向性じゃないのか、と問いたくなる。
 ヴァルハラビット。
「無駄口を叩いてないで、ほら、回答を見せなさい? ……あら、正解じゃない。やるわね」
「まあな」
 毎日の戦場ヶ原と羽川の指導が、地道な成果を上げていた。
「さすが保健体育の問題は強いわね」
「数学の問題だよ!! 不当な評価をするな!」
「ねえ阿良々木くん。ご褒美というのは動物の調教みたいであまり好きではないのだけれど、いいことを思いついたわ」
「……何だ?」
 戦場ヶ原の僕に対する仕打ちは、調教なんて生易しいものじゃないと思うが。
 思わず身構える僕に、戦場ヶ原は宣言した。
「月見をします」
「は?」
「……違うわね。こうじゃないわ」
 首を傾げて、戦場ヶ原は言う。
「月見を……して、いただけませんか?」
「…………」
「月見を……したらどうな……です……」
「………………」
 僕の反応(と言うか、無反応)に不満げな様子で、大きくため息をつく戦場ヶ原。そして、
「月見をしなさい、阿良々木くん」
「最終的に、そう落ち着くんだな」
 妥当と言えば妥当なところだった。
 らしいと言えば、これ以上なくらしい。
 ともあれ、こうして。
 僕と戦場ヶ原は、月見をすることになった。

 * 

 月見と言っても。
 ただ単に、僕の家の縁側だかで、月見だんごでも食べながら月を見る、というだけでは、いけないらしかった。
「そんなものは風情がないわ」
 戦場ヶ原はそう言い放った。
「物事には風情というのが重要なのよ。阿良々木くん風情には判らないでしょうけど」
「上手いこと言った感じで、さりげなく僕を貶すよな、お前は」
 もはや才能と言っていい。
「才能なんて大それたものじゃないわ。阿良々木くんを見ていると、自然と悪口が言葉をついて出る、言ってみれば本能よ」
「そういうことを言えるのが才能だと思うんだが……」
「九能先輩のようなやられ役とは違うのよ、私は」
「いや、結構、性格とか似てる気もするけど」
 そういう自信過剰なところとか。
「とにかく、せっかくの月見を、自宅で済まそうなんて安近短な考えは捨てなさい、このあんぽんたん」
「……久々に聞いたな、その表現」
「月見なら、もっといい場所があるでしょ」
「もっといい場所……?」
 と、戦場ヶ原は不自然に頬を染めて、上目遣いで言う。
「ほ、ほらっ、この私がここまで言ってるんだから、いい加減気づきなさいよっ、このアホロートル!」
「……ごめんガハラさん、僕はお前にそういうタイプのツンデレキャラを求めてはいない」
 あと、アホロートルは悪口じゃない。
 バカロリートと双璧をなす言葉だ……。
「——って言うか、僕にはその『もっといい場所』というのに、ひとつくらいしか心当たりがないんだが」
 忘れるはずもない。
 戦場ヶ原と、はじめてのデートの場所。
 満天の星が見渡せる、天文台近くの丘。
 確かに、あそこなら、月もきっと綺麗に見えることだろう。
「……でも、あそこに行くってことは」
「ええ。もちろん」
 そう言って、戦場ヶ原は不敵に微笑む。
「また、お願いすることになるわね。私のお父さんに」

 * 

 そんなわけで。
 夜。戦場ヶ原の父親が運転する車に乗せられ、僕と戦場ヶ原は、あの想い出の丘へ向かう。
 苦行の時間再び。
 その道中も、僕は戦場ヶ原……ひたぎさんの執拗な言葉責めに遭い、運転席からの無言の圧力に耐え続けなければならなかったのだが、その様子を描写する気力は、今の僕にはない。
 ということで。
 到着。
 前に来たときは夏だったが、今はずいぶん気温も下がり、上着にパーカーを着込んでいても、少し肌寒いくらいだった。
「少し肌寒いわね」
 そう言って戦場ヶ原は、僕のそばに寄り添ってくる。そのまま、僕の上着の袖に手を掛け、
「えい」
 奪った僕の上着を、自分の袖に通した。
「…………」
 まあ、予想されることではあったけど。
「さてと。阿良々木くん、そんなとこで追い剥ぎに遭ったみたいな顔して突っ立ってないで、準備を手伝いなさい」
「……追い剥ぎに遭ったのは生涯これが初めてだが、準備って?」
 そう問い返すと、戦場ヶ原は答えるのも面倒だと言わんばかりに、用意してきたボストンバッグを顎で示す。見ると、中には前回のデートでも使ったビニールシート。それに加え、巻かれたゴザがいっしょに入っていた。
 これを敷いて、月見を楽しむということだろう。
「月見だったら、やっぱり和風じゃないとね。これが風情というものよ。阿良々木くん風情には判らないでしょうけど」
「……二回も言われると、あまり上手いこと言ったように聞こえないが、しかしガハラさん」
「何よ」
「和風というなら、その……服装ももっと、浴衣とか着物とか、そっちのほうが風情があるような気がするんだけど」
 言って、僕は戦場ヶ原を見やる。
 上着に、僕が着ていたパーカー……はおくとして、薄手のセーター。下は丈の長いスカート、見るまでもなく普通の洋服だった。
「はっ」
 戦場ヶ原は呆れたような目で僕を見下す。
「阿良々木くんが私に意見しようだなんて、百万ねこ早いのよ」
「百万ねこ!? どんな単位だそれは!!?」
 僕は化けねこになって百万回生きなければならないのだろうか。
「どうせ阿良々木くんは、着物の帯を持って、『よいではないかよいではないか』『いけません旦那様、あ〜れ〜』なんてことをしたいのでしょう」
「いや、そんなことは断じて思っていない!」
そりゃ、マンガやアニメでは定番だけど。
「もしこの私にそんなことをしようとしたら、その帯であなたを絞め殺してやるわ」
「クビシメロマンチスト!」
 それは禁断のクロスオーバー。
 いや、そんな話では絶対にないのだが。
「まあ、どうしても私の着物姿が見たいというのなら、いつか着てあげてもいいわ」
「え? 本当に?」
「ただし、その着物は阿良々木くんが用意しなさい」
「…………」
 遠回しにプレゼントを要求されているのだろうか。
「そうしたら、『べっ、べつにあなたのために着てあげたわけじゃないんだからねっ。ただ、せっかくもらった着物だから、着てあげないともったいないからって思って、それだけだからねっ!』と言って着てあげるわ」
「いや、だから、そういうサービスはいいから」
 それに、そういうことは予告して言うもんじゃない。
 そんな感じの、ほほえましいやりとりがあって、ようやく僕達は月見に取りかかる。
 ゴザの上、並んで座る僕と戦場ヶ原。
 空を見上げる。まだ月は低く、しかし、周囲の木々との対比で、とても大きく見えた。
「そうだ、忘れてたわ」
 と、戦場ヶ原は先ほどのボストンバッグから、スーパーのビニール袋に包まれた何かを取り出し、その中身ごとこちらに放り投げる。
「うわっ。……何だよ、これ?」
「何って、月見だんごよ」
 受け取った袋の中を確かめる僕。プラスチックのパックの中に、串に刺さっただんご。スーパーで売っていたと思しき、みたらしだんごだった。
「いや……お前、月見だんごって、こういうのじゃなくて、もっと……」
 月見だんごと聞いて、僕の頭の中でのイメージ。こう、なんというのかは知らないが、木で出来た四角い箱の上に、白いだんごが三角錐形に並んでいる、あんな感じ。
「そんな固定観念に囚われるものではないわ。阿良々木くんはあれなの? バレンタインデーには、女の子から高級チョコレート店の特製チョコしかもらいたくないって言う人なの?」
「え? いや、べつにそういうわけじゃ」
 どういう論理の飛躍だ。
「ちなみに、私はチロルチョコしかあげないわよ」
「いや、くれよ!」
「百歩譲って、ミスタードーナツのゴールデンチョコレートよ」
「もはやメインがチョコじゃないし!」
 忍は嬉しがるかもしれないけど。
「っていうか、その流れなら、お前が手作りしてくれっていう話だろ」
「……あら? いいの? この私に阿良々木くんの生殺与奪の権を与えてくれても」
「中に何を入れる気だ!」
 間違っても本格ミステリには登場してほしくない奴だ。
 事件が一秒で解決してしまう。
「いいから、その月見だんご、食べないなら私にちょうだい」
 あくまで月見だんごと言い張る戦場ヶ原。僕は大人しく従い、パックを渡す。戦場ヶ原は串を一本手に取り、だんごを一個口にする。
「…………」
 空にのぼる月と、だんごを見比べるように、串を顔の上で回し、眺める戦場ヶ原。
 ふと、その手が止まる。
「ねえ阿良々木くん。こっち向いて。食べさせてあげる」
「え?」
「はい、あーん」
 と。
 僕の眼球に高速で接近する物体。
「…………!!!」
 必至で避ける。
「あら」
「あら、じゃねえ! 今、明らかに目玉を狙っただろ!」
「……だんごの串を眺めてたら、凶器になりそうだと思って」
「お前は一生、串だんごを食うな!」
 二重の意味で、まともな月見だんごが恋しかった。
「まったく、月見くらい静かに出来ないのかしら。鈴虫だってもう少し綺麗な音色で鳴くのに」
「お前は恋人を秋の虫と一緒にするのか!?」
 とはいえ。確かに、これでは月見に来たのか、だんごの話をしに来たのか判らない。いい加減、落ち着いて月見をすることにする。
「阿良々木くんの視力なら、見えるでしょう? 月の模様」
「ああ」
 兎のように見えるという、例のあれだ。
「この前は笑ったけど、やっぱり撤回するわ。人によって、見えるものは違うのだから」
「…………」
 たとえば僕に、大きなリュックサックを背負った小学生が見えるように。
 月に行った宇宙飛行士たちには、何も見えなかったとしても。
 もしも——もしも僕が月に行けたとして、僕の目には、兎が見えるかもしれない。
 なんて、それは。
 あまりにも感傷的な言い方かもしれないけれど。
「少なくとも私は、阿良々木くんと出逢って、そのことを知ったわ。……ううん、そもそも、阿良々木くんのことだって、あのことがあるまでは、同じクラスだったけれど、まるで見えていなかった」
「…………」
「言い換えれば、眼中になかった」
「………………」
「アウトオブ眼中だった」
「どんどん悪いように言い換えるな!」
「それが今では、阿良々木くんに目がなくなるなんて」
 あ、あれ? 貶されてたはずなのに、のろけられてる?
「——ねえ阿良々木くん。もし、本当に神様がいるとしたら」
 頭上の月から目線を逸らさず、戦場ヶ原は続ける。
「それはやっぱり、どうしようもなく底意地の悪くて、酷い神様なのだろうけど。——それでも、これだけは感謝したいわ」
 と、そこで戦場ヶ原は、視線を月から僕の方に向ける。
 月明かりに照らされる、戦場ヶ原の顔。
「あなたを私と、出逢わせてくれて、ありがとう、と」
「……あなたと私を、じゃないんだな」
 妥当と言えば妥当なところだった。
 らしいと言えば、これ以上なくらしい。
 そんな、戦場ヶ原ひたぎの言葉だった。

 * 

 後日談というか、今回のオチ。
 あれから、僕と戦場ヶ原は、しばらくふたりで月を眺めて夜を過ごした。と言っても、もちろん一夜を明かしたわけではない。
「まだイベントCGを手に入れるほどにはフラグが立ってないわ」
 とか何とか言っていた。
「少なくとも、あと三十回はこの丘に来て好感度を上げることね」
 などとも言っていた。
 相変わらず難易度の高いヒロインだった。
 というのはともかく、しばらくして迎えに来てくれた戦場ヶ原の父親の車に乗って家に帰ると、すっかり日付が変わってしまっていた。そのまま自分の部屋に直行し、睡眠。
 そして翌朝、いつものように二人の妹、月火と火憐に叩き起こされる。
「…………」
 そう言えば、月火にも「月」って字が入ってるんだよな。
 うん。決めた。
 戦場ヶ原に、安近短だあんぽんたんだと罵られようと構わない。
 あの丘は、確かに僕と戦場ヶ原にとって大切な場所だけど、僕にとって、この家もそれ以上に愛着のある場所だ。
 今晩は、月火と火憐といっしょに、月見をしようと決めた。
 近所のスーパーに、まともな月見だんごが売っていることを祈ろう。

(終)

2008.10.01 by plateau