2004年02月11日(水)
西尾維新「零崎双識の人間試験」(講談社ノベルス)感想
ファウストは今日買いにいきます。まずは西尾氏「零崎双識の人間試験」感想を。
無桐伊織は平凡な女子高生、十七歳。だったはずが、ある日突然とんでもない事件に巻き込まれる。否、巻き込まれるといった程度ではない。彼女の存在はまさに事件の中心であり、中核であり、中枢であった。零崎一賊。「殺し名」七名。どうしようもないモノ。自殺志願。死色の真紅。
死、死、死。「死ぬとは、どういうことですか?」「きみはどうやら、『合格』のようだね」「あなたはーー間違っています」「……お兄ちゃん」
彼女にとってひとつの世界が終わり、そしてーー「零崎を、始めよう」
あー相変わらず形容の仕様もないくらい徹底的に絶対的に圧倒的に素晴らしい。ありえないくらいに荒唐無稽で、世界が違って、でもだからこそきわめて現実的。皮相な世相を一掃するくらい、悲愴で颯爽。
また、ウェブ連載時にも唸らされた(うなー)二重三重の罠。それが今回、ノベルスにまとまったことでさらに増幅されています。とくに、加筆部分によって、「戯言シリーズ」正編(とくに「ヒトクイマジカル」)との位置関係が明瞭になり、ぴったり「嵌った」という感じです。そしてこれが、「ネコソギラジカル」にもつながっていき、遠くない大団円に収束していくのでしょう。期待は高まるばかり。
それにしても、西尾氏の女の子キャラ造形は毎回良いですねー。誰かひとり選べないくらいみんな素敵。葵井巫女子(みたいなっ!)、萩原子荻(辞書に替わってお子荻ちゃん)、紫木一姫(ですですよ)、とかとか。でもみんな……うー……うなー。
あ、といっても時宮時計はさすがにダメですよ?(ネタばれかな)
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2004年07月24日(土)
西尾維新「新本格魔法少女りすか」(講談社ノベルス)感想
「堕落した人生でコーヒーなんか楽しんでもしょうがない、そのとき飲むべきは青酸カリだ」(供犠創貴)
りすかって名前、リストカットの含意があるんですね。ようやく気づきました。
「ファウスト」に掲載された「やさしい魔法はつかえない。」「影あるところに光あれ。」に書き下ろし「不幸中の災い。」を加えた西尾維新の新シリーズ第一巻刊行。別の意味で面白すぎるカバー裏表紙の説明文はともかくとして、やはり良い意味で西尾氏らしさ全開の作品に仕上がっていました。以下、書き下ろしの第三話に関わる考察を含みますので、未読で先入観を持ちたくない方はご注意を。
この第三話が加わったことで、シリーズ全体の仕組みというものがはっきり見えてきたという感じです。ご丁寧にも自己言及されている通り、第一話では鉄道の時刻表トリック、第二話では誘拐事件、そして第三話では確率の犯罪と、既存のミステリィの枠組みを踏襲しつつ、まったく新しい試みがなされています。
西尾維新といえば「ジョジョ」、というのは戯言シリーズ初期から言われてきたことではありますが、今シリーズではまさにスタンドならぬ「魔法」使い、あるいは「魔法使い」が続々登場し、バトルがくり広げられます。「矢」なんて、挑発的なアイテムまで登場しますし。
そうして、毎回の展開は、強大な敵(犯人)に立ち向かい、危機に陥りながらもりすかが死に直面することで「大人バージョン」に変化し、圧倒的な力で勝利を収めるという、鉄壁のパターン。このへんは、週刊連載マンガというよりはむしろ、「魔法少女もの」に代表される、毎週のアニメのお約束を踏襲しているように感じられます。
こういう連作短編としての縛りを設けているという作品構成上、戯言シリーズの圧倒感には及びませんが、非常に良質なエンタテインメント作品として成功しているように思われます。やはり第三話に顕著な、西尾維新的なセンテンスの面白さも健在ですし。
それにしても、西尾維新は本当に「おにいちゃん」とか妹キャラとか好きですね。もしかして本人はひとりっ子なのか?
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2005年02月11日(金)
西尾維新「ネコソギラジカル」上 十三階段(講談社ノベルス)感想
「人間はね、少年。本来、なりたいものに、なれるものなのだよ」( )
待ち焦がれ続けた西尾維新「戯言シリーズ」最新作にして最終章。はじまりがあれば終わりもあるのは世の常ですが、しかしはじまりから終わり続ける物語なき物語にもすべからく終わりは訪れるべきものなのか。そんな感じで「ネコソギラジカル」、開幕です。
何度でも言いますが、私にとって「西尾維新」という作家は特別すぎる存在です。今こうしてネット上で顕在するぷらとーの人格の半分は西尾維新でできています、と言ったらそれは過言ですが(すみません、この口ぶりを一度やってみたかっただけです)。この本の中でも何度となく、「いーちゃんは誰にでも似ている」という表現が出てきますけれど、まさに私にとっていーちゃんという存在は今まで読んだ小説のキャラ中、もっとも自己同一視してしまう存在でありまして。「いーちゃんってオレじゃん!」と思わせた時点でもう西尾維新の勝ち決定! ただしエキシビジョンマッチ、みたいな(今回巫女子ちゃんが出てこないのが物足りないなー)。
どんどん本筋からそれまくってますが、最近それが微妙に心地良いのでとことんやってみます(おい)。他人が傷つけられるのを見るくらいなら、自分が傷つくのを望む、っていういーちゃんの性。もう、まさに最近、そういう精神状態だったものでちょっと参ってるんですが。時代の雰囲気のつかみ方が非常に巧いです。私が思うに、最近の「メフィスト→ファウスト系」作家のうちでは西尾維新こそがもっとも現代らしい作家だと思います。舞城王太郎とか、ひょっとしたら佐藤友哉のように、ある意味判りやすい形で「純文学界」なるものに認められつつある面々よりも、もっと「平成」の匂いを感じるというか(この人たちの文才を認めないというわけではないです)。
その文章から、表面的には「キャラ萌え作家」として捉えられているであろう西尾維新(本人談では「萌えキャラ殺し」の異名を取るとか)。しかし、この作家には普通のキャラ萌え文脈とは明らかに一線を画す特徴があります。それは「主人公である少年を目立たせる」という一点。
ここから、なんか東浩紀の評論めいてきますが、ギャルゲーの主人公は通常目が描かれない。その没個性によって各プレイヤが主人公に自己を投影できる仕組みです。それを受け継いで、マンガ・小説などのジャンルでもいわゆる「萌え系」作品では、主人公を比較的無個性な人物に設定する傾向にあります(私の観測する限りでは)。何の取り柄もないごく普通の男の子が、何故か大勢の女子キャラに好かれる……というのが「ハーレムアニメ(マンガ)」の派生パターン。もちろん、小説にも類例は多くあります。たとえばデビュー時期が近しいライトノベル作家・谷川流を引いてみてもそれは明らかで、戯言シリーズのいーちゃんと同じく本名が与えられていない「キョンくん」(涼宮ハルヒシリーズ)にしろ、高崎由悠季(学校を出よう!シリーズ)にしろ、すっかり朴念仁無個性キャラが確立しています(学校シリーズでは高崎兄が主人公だったのは実質一作目だけですが)。
ひるがえって西尾維新の場合。いーちゃんも表面的にはそういう無個性主人公に見えます、というかそう見えるよう描かれています。本名の提示されない一人称。一作目「クビキリサイクル」での第一印象は、天才に囲まれて右往左往する凡人。そうだったはず。しかし、それは巧妙なミスディレクションだったことがシリーズを経るに従って明らかになります。ただものではない「いーちゃん」。名探偵以上に名犯人らしい主人公。そして彼に与えられるのは「戯言遣い」の二つ名。一人称の枠を超えて、語る語る語る。それこそがまさに彼の特異な個性を表しています。
そうして、ここからが更にひねくれたところなんですが、その語られた内容によって主人公の内実が明かされるかと思えば、まったく明かされない。この上巻で語られた内容のうち、「いーちゃん」の過去についてシリーズ前作に加えて明らかになった事実がどれだけあるか。おそるべきことに、ほとんどないのです。箇条書きにすれば一ページも埋まらないと思えるほど。「誰にでも似ている」という秘訣はここです。具体的なことを描かずに、抽象的な「人間の弱さ」を描いているから、誰にもあてはまるのは当たり前。血液型別診断と同じトリックですね。
それにしても、「戯言シリーズ」というシリーズ名はけだし名文句です。主役は「戯言遣い」にあらず、「戯言」そのものといっていいわけですからね。
でまあ、そんな作品なのにもかかわらず、いや、だからこそと言うべきか、一ページごとが相変わらずめっぽう面白い。「〜ジカル」シリーズ通じて顕著な構成として、意図的なものだと思うんですが、物語の前半では、主人公は何もやってない、事件が何も起こらない。キャラがふたり以上いて会話を続ければ(もっと言えば、いーちゃんひとりだけの語りであっても)それで作品が成立してしまう。このあたりは、前言を翻すようにもとれるのですが、キャラ萌えの力を最大限に利用していて素晴らしいと思うのです。
ということで、それにも関連して、まったく作品の具体的な内容に触れずじまいでしたので、最後にひとつだけ。一応ですけどネタばれ注意。
あのですね。
今回の最萌えキャラ、闇口崩子ちゃんなんですけど。
「わん」
って!! いーちゃーん、あんたは犬派ですか! いやまあ、これでも充分以上の破壊力でしたけどさ。そこはやっぱり「にゃー」でしょうよぅ。「『ネコ』ソギラジカル」なんだし。西尾維新自身、その含意に気づいてないはずはないと思うんだけどなぁ……。まあ、犬派なんだとしたら、私といーちゃんとの違いが見つかって良かった、みたいな(なんのこっちゃ)。
中巻以降ではネコミミモード崩子ちゃんを待望しつつ筆を置く次第であります。って、そもそも刊行時期がいまだに未定(重複表現)なのですが……。
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2005年03月30日(水)
西尾維新「新本格魔法少女りすか」2(講談社ノベルス)感想
西尾維新「新本格魔法少女りすかシリーズ」の二弾目です。そりゃまあ、このタイトルで戯言シリーズの続編だったりしたら、かなりびっくりです(といいつつ、けっこう嬉しかったりして)。
や、いきなりしょうもない戯言を書いたのは、それなりに意味があって。そもそも、このタイトルはなんなのか。「新本格」といったら、普通あとに続くのは「ミステリ」とか「推理小説」であるはず。それが、こともあろうに「魔法少女」ときている。そもそも「新」とつくからには、すべからくその前に新じゃない普通のものがあってしかるべきです。新本格ミステリ以前には本格ミステリがあって、新幹線の前には幹線があって、新谷良子の前には谷亮子があったのです。しかるに、「本格魔法少女」などというものがかつてこの地上に存在したことがあろうか。
まあ、それは純粋に語法上のものとして許容しましょう。推理小説界で通例となっている用語を、魔法少女ものに敷衍したと考えます。では、エドガー・アラン・ポーを祖とし、次いでアガサ・クリスティ、エラリー・クイーン、ジョン・ディクスン・カーなどの作家によって海外ミステリが花開き、江戸川乱歩らの手によって日本独自の「探偵小説」が生まれ、戦後の社会派の台頭の後、綾辻行人によって「新本格ミステリ」が切り拓かれた、というミステリ史を魔法少女ものに適用するとどうなるか。まず、海外ものの代表は「奥様は魔女」でしょう(それ以前の歴史は不勉強により知りません)。それに触発されて戦後日本で生まれた「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」が、国内魔法少女ものの元祖、いわば「本格魔法少女」と呼べます。となると、「新本格魔法少女」にあてはまるのは、もう「カードキャプターさくら」でしかありえません(この論理の飛躍を許容できるかどうかが、西尾維新の善き読者となれるかどうかの境目だと、わりと本気で思ってます)。
新本格ミステリが、その成立からしてメタなものであったことは、この分野に詳しい方なら自明のことでしょう。綾辻行人氏ら新本格第一世代の作家の多くが、大学の推理小説研究会に所属していた、いわば「ミステリオタク」であったことがそれを示しています。彼らは過去の本格ミステリ作品を偏愛し、それを模倣することが自らの創作活動の原点でした(念のため言っておきますが、この文脈においてそれを否定的に捉えるつもりはまったくありません)。
そして、これと同じ構図が魔法少女ものでも起こっているように思います。かつてのように、純粋に少女向けに作られる魔法少女ものが皆無というわけではありません(たとえば、「魔法少女隊アルス」なんかはけっこうそれに近いかも)。しかし、ゲーム、アニメというメディアで描かれる大半は、それらをメタ化した「大人向け」魔法少女もの、というのが現実です。ちなみに、ひょっとして、その頂点が「魔法少女リリカルなのは」なのではないか、などと私は思っているのですが……。
ということで結論。この「新本格魔法少女りすか」シリーズは、まごうことなき「新本格魔法少女」ものである。そのメタ性は、タイトル自身にも現れています。通読すれば判るとおり、この作品の主人公はタイトルに冠された「水倉りすか」ではありません。これまでの西尾維新の小説とまったく同じように、一人称たる供犠創貴(くぎ・きずたか)こそが主役。そして、彼の智恵によって毎回現れる敵を倒していく、その構図は一見、典型的な魔法少女もののそれと一致しているように見えます。しかし、本来の魔法少女ものが主人公(あるいはその友人たち)の成長を描くものであるのに対し、この作品では、その「成長」の意味合いがまったく異なっています。りすか=リストカットにより作られる、供物であり犠牲たるキズ。傷が癒えても、その部位がより強くなることはなく、ただもとに戻るだけ。りすかについて描かれる、一時的な「成長」の異常さも、この作品が単純な「少年少女の成長物語」ではないことを示していると考えられます。それこそが、この作品の「新本格」たる所以。
いやー、ほんとこの作品、感想書きにくい書きにくい。ということで全編大ボラ解析でお茶を濁してみました。たまに書きたくなるんですよね、こういうの。ちなみに、「ファウスト」Vol.4の感想その2がいつまで経ってもアップされてないぞ! というツッコミは禁止です。
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2005年06月11日(土)
西尾維新「ネコソギラジカル」中 赤き制裁VS.橙なる種(講談社ノベルス)感想
もっちろんだよぅーー!!
いや、もうね、とりあえずあちこちで真っ先に死ぬ死ぬ言われてた崩子ちゃんに、まだ見せ場があったことに安心したり、いやもちろん、この巻の結末についてはネタばれしないことにしますが、とにかく一章先も読み切れない、ミステリに特有な中盤のダレる展開とも一切無縁、疾風怒濤、たとえて言うなら大人気ジャンプ連載! ただし富樫義博、みたいなっ!! なんてそんな戯言を繰ってしまいたくなる今日このごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ことは崩子ちゃんにとどまらず、ここにきての新キャラ大量投入。モエモエモエモエモエ、五つモエですぅ〜! 私も京都には五年くらい住んでますが、街中でこんな萌えキャラにはついぞお目にかかったことはございません、どこに隠れてたんですか。とりあえず絵本園樹さんのケータイ番号、テルミンぷりーず! 私としてもツボを刺激されまくりですよ。年齢だけがちょっとネックですけどねっ! 友達になりたいんなら、なまえをよんで! 「いーちゃん」とか「いっくん」なんて呼ばずに、いっそ本名で!(死にます)
なんかもうね、こんな戯言感想でいいならいくらでも語りたくなってきますよ。それこそどこへも続かない、行き止まりの隘路ニカルなわけですが(誤変換に非ず)。死ニカル、間近ル、隘路ニカルなんてどうでしょう?(何が)
いやはや、実に素晴らしい。こうやって反応できるレベルの表象が文字通り表面に過ぎなくて、その実しっかり物語が終わりに向かっていってるのも見事。ついにいーちゃんも自分の過去を語りだしましたし。次巻「ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い」、それこそ完膚無きまでの終わりを期待します。
そういえば京都市役所駅のシステム、大学入試で上洛して、はじめて眼にしたときはとっても感心したことを思い出しました。
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2005年09月19日(月)
西尾維新「ニンギョウがニンギョウ」(講談社ノベルス)感想
「お兄様流石はお兄様です流石はお兄様ですお兄様」(五番目の妹)
妹最高ー! 西尾維新天才!!
……あーいやいや、そう云って想像するようなモノじゃないから、ホント。
しかしながら、石の上にも百年座れば砂塵となりて大砂漠とはよく言ったもので、よくもまあこれだけ訳の判らないことを書けるものだなと。訳の判らないことを訳も判らず書くのはまだ簡単かもしれないけど、最終的に訳が判らないままに訳の判ったふうに読めてしまうことこそ、天賦の才(才能無いな自分)。 感心感嘆歓恨相殺です(敵いっこないんだからもうやめとけ)。
2005年11月12日(土)
西尾維新「ネコソギラジカル」下 青色サヴァンと戯言遣い(講談社ノベルス)感想
ついに戯言シリーズ最終巻。な、な、なんだこの画に描いたようなハッピーエンドは!!
いやぁ、素晴らしい素晴らしい。終わらせ方という点ではまさに圧倒的に徹底的に、完膚無きまでの完結であります。ラストの一文に感涙してしまいましたよ。物事はなべて始めるより終わらせるほうが格段に難しいのですが、ことここに至ってまで私と西尾維新の波長はぴったり合う模様。やっぱり誰がなんと言おうと似てるんですよこの作者と。同年齢だということでデビュー当時から勝手に意識してましたが、もう仕方ない。私の方こそ死ぬまでおつきあいいたします。
西尾維新という作家にとっても、良い意味で呪縛から解けたという感じなんじゃないですかね。小説家にしてもマンガ家にしても、デビュー作がいきなり人気作になってしまった人はなかなか次のシリーズを当てるのが難しいというのはよくある話で。そのうち引き際を間違ってずるずるシリーズが続いてしまうのは作家にとっても読者にとっても良くないよなぁと思います。「物語の終わりが見たい」というのは、読者としての西尾維新の(そして、もちろん私にとっても)偽らざる気持ちだったんでしょうね。それを踏まえて、この結末を眺めてみると、いかにもこのシリーズらしい、この作者らしい終わりになってると思います。作品のテーマらしきものもうかがえつつ、いつもながらの軽快な会話も楽しめ、お約束のジャンプ的バトルシーンもあり、ミステリも……あ、あんまりないかもしれないけど(笑)、そして最終的には「まるごと戯言、お見事!(by清涼院流水)」なわけですか。もう何も言うことはないですね。いや、この場合は何を言っても言葉足らずだと言ったほうがいいかな? 戯言シリーズはこのまま忘れ難き偉業になるとして、次作以降が早くも楽しみです。
ところで、昔誰かが書いてましたけど、西尾維新の小説の中の京都って、ほんと人がいませんよね。それとも歩道の幅が通常の三倍とか。今巻で出てきた四条通の本屋ってブックストア談だと思うんですけど、あそこ絶対あんな会話なんかできないくらい人多いですから。こういう京都だったら私もずっと住んでても良かったと思いますけどね。
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2006年06月11日(日)
西尾維新「ザレゴトディクショナル 戯言シリーズ用語辞典」(講談社ノベルス)感想
戯言シリーズ最新作(あながち間違いでもない)。
これ面白い。っていうかまあ、西尾維新の文章で面白くないものなどこの世にひとつとしてないのですけど(恥ずかしい京極堂禁止)。戯言シリーズに登場した用語、キャラを作者自ら解説したりしなかったり。ネタばれ必至裏話満載、ただし過度の期待はしないほうが身のためです(この作者が、普通に用語解説なんかすると思います?)。
いやね、この文体、まるでどっかの個人サイトを読んでるみたいで、やたら読みやすい。自己ツッコミも冴えまくってますし。こういうの読むと、自分ももっと面白い文章を書きたくなる。
否、書きたくなくなる。
……とまあ、さっそくその文体を真似させてもらってるわけなのですが。ぷらとーさんの58%は西尾維新でできています。ただし16進数、みたいな(哀川さんへの道は遠い)。
マジメな話をすると(今までのはフマジメだったのかというツッコミは四月一日くんのごとくスルーされる)、「萌え」と「ミステリ」をここまで密接不可分のものとしたのは他ならぬ西尾維新の功績なのですよね。この辞典にも当然のように「萌え」なんて項目がありますが(っていうかな、西尾維新、「ツンデレ」なんて今でも一般的用語じゃねぇよ)、「萌え要素」こそがミステリの伏線になるという、西尾維新の公称するかぎり世界初の試み(ちなみに「ひぐらしのなく頃に」よりも数ヶ月早い)。
私もね、最初「クビキリサイクル」を読んだときは驚きましたよ。あれは忘れもしない4年前のいつだったか(お約束)。京都は高野の某書店でイラストに惹かれ手を取った運命の書。数ぺージ読んですぐさまレジに向かいましたね。何だこいつ。同い年だし、京都在住だし(大学は違うけど)、これは自分のために書かれた小説なんじゃないかと本気で思った遠い日の記憶(そういう奴はたぶん全国にいっぱいいる)。ここだけの話、それまでもミステリ好きで、自分でも小説書いてみようかなーなどと思っていたりしたのですが(どうしても1万文字くらいの小説までしか書けなかった)、こういう作家がいるなら、この人が小説を書き続けるかぎり、もう自分ができることは何もないと思えました。圧倒的な力の差。
そんなわけで、辞典に「西尾維新」の一項がないのを不審に思いつつ、それはおそらく、NISIOISINという作家はけっして戯言シリーズの枠のみにとどまるものではないという決意表明だと思っておきながら、これからの活躍にも期待するとともに、あらためてシリーズ完結への祝福・感謝・ねぎらいの言葉に代えて、以下の言葉で締めたいと思います。
わん。
2006年08月02日(水)
西尾維新「xxxHOLiC アナザーホリック ランドルト環エアロゾル」(講談社)感想
いや、斜めってありますよ?(いきなりあとがきに言及するな)
西尾維新ノベライズ。この人、世界観の継承の仕方が巧いなぁ。CLAMPによる「xxxHOLiC」というクラスを継承しつつ、紛う事なき西尾維新メソッドでオーバーライドを達成している。私は原作未読ですし、CLAMPファンとはとても言えないレベルですが、西尾文体愛好家として大満足の出来。とりあえず四月一日くんのツッコミは予想通り冴えまくってましたし。
つうか、最終章なんか、勝手に物語終わらす気かと思いましたよ。侑子さんじゃなくて四月一日くんが世界の中心だったらこういう終わり方もさもありなん。アニメの最終話がこれ原作だったらすごいなぁ(いや、実際、第一章は既に第17話の原作になってるらしいですが……中部では放映まだ先ですけど)。これもまた、西尾維新から視た一つの世界のあり方。
ちなみに、ひまわりちゃんは名前の言及だけで一行たりとも登場せず。別にいいですけどね、下手に登場したらどんな萌えキャラにされるか判ったもんじゃありませんから。随所に登場する妙にコアなネタもスルーの方向で。
2006年09月21日(木)
西尾維新「DEATH NOTE アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件」(集英社)感想
「赤ずきんチャチャ」ですか……。私はアニメ版しか観てませんでしたけどね。しかも、どっちかというと「ケロケロちゃいむ」派。あおちゃんがかわいくってたまりませんでした(そっちかー)。玖渚友ではありません。
みたいな感じで。ノベライズ維新、集英社版。こっちは完全に原作を知らないので(アニメはどうしようかな……)、どのくらいまで原作由来の設定なのか判りませんが、相変わらず西尾維新ワールド全開のような気がします。ところで、その昔「とっても!ラッキーマン」というマンガがありましてですね。その中で一回だけ、「赤ずきんチャチャ」のネタが出てくるわけですよ。まさか、そんな深いとこまで考えてネタにしたのか西尾維新。いや、この人ならやりかねん。
元がミステリだからなのか、久しぶりに西尾維新のミステリを読んだ気がしますね(いや、戯言シリーズがミステリだと思ってないわけじゃないわけじゃないけど)。三人称文体は西尾維新が本気になったサインということでしょうか。といいつつ、問答無用に地の文にツッコミが入るわけですが。いつもながらの感想系要らずのツッコミ文体。それでも、あえてツッコもうとするならば、この人本気で「ツンデレ」が一般に通用する名詞だと思ってるのか? というあたりでしょうか。
2006年11月18日(土)
西尾維新「化物語」上(講談社BOX)感想
「やりたい放題じゃん」という主人公のツッコミ、それをそのまま作者に返す……。
戯言シリーズ完結から一年。西尾維新のオリジリナル(失礼、噛みました)新作はどんなんかなぁと思ったら。参りました。設定もキャラクタも、戯言度が破壊的にアップしてました。出血大サービス、ただし成分献血! みたいなっ。もうこの人には一生ついていくしかないですな。
三章からなる連作短編。テーマは怪異と見せかけて、やってることはただひたすら、主人公がツンデレ同級生に罵倒を浴びせ続けられたり、女子小学生にツッコみまくってたり、百合乙女な後輩ちゃんにストーカーされたり。分量的には第3話がいちばん多いですが、やっぱり第2話が好きだったなぁ。私もまよいちゃんと出会いたいです。小学生に思いのままにツッコみたい。ああ、もちろん会話ですよ会話。っていうか、主人公以外のキャラは全員ボケ役ですから。作中でふつうに交わされてる会話の大半がボケとツッコミの応酬になってて、相変わらず電車の中で読むのに苦労して仕方ありません。例によって正気の沙汰とは思えない単語も頻出してますし。小説家がこんなことやって、日本語は滅ぶぞ(お前が言うな)。それにしても、どれだけツンデレ好きですか西尾維新。まあ、この作品に限っては、それと同じくらい、ロで始まってンで終わるカタカナ4文字の単語が頻出してる気もしますが。あ、あと、個人的には「蕩れ」を流行らせようという気はありません。
ということで下巻も楽しみに待ちつつ。来年は新シリーズも毎月刊行だそうで期待してます。むしろ気体してます(これぞ、天にも昇る気持ち)。
2006年12月07日(木)
西尾維新「零崎軋識の人間ノック」(講談社ノベルス)感想
こ、これぞまさに、次女に代わってお子荻ちゃん……。
そんなこんなで戯言シリーズの外伝的作品、零崎第二弾。本編より5年ほど前の時空にもかかわらず、「一人でプ(略)」だの「いやいやダンス」だの、クォリティ高すぎです。おそらくは「おねがい」も同じ文脈かと邪推(嫌な行間の読み方だ……)。そして相変わらず西尾維新、ツではじまってレで終わるカタカナ4文字も大好きのようで。ツではじまってルで終わるカタカナ6文字の哀川さんもちょっと見てみたかった気もしますが。
……っていうか、ホントやりたい放題開放台ですなこの作家。同時に、こんな小説買い放題な自分がいるのもたしかです。タイトルにもなってる零崎軋識があまりにしょぼいのもたぶん狙い通り、逆に第一弾で散々なことになってた双識さんがパワーアップして帰ってきましたよ。この人こそ、ちぃくんといっしょに永久にどっかに隔離しといた方がいいような気もしますが(あんたにだけは言われたくない……!)。とりあえず西尾維新は間違いなく妹属性だということでよろしいでしょうか。それでは引き続いて「化物語」下巻を。
2006年12月17日(日)
西尾維新「化物語」下(講談社BOX)感想
今月のスローガンとか、「はい」は3回とか……いや、さすがに偶然だと思うけど。
ホントにもう、この作家いい加減にしろよ(笑)。本筋と明らかに関係ない無駄話が面白すぎる。あげくの果てに、あとがきで(韜晦もあると思うけど)100%趣味SPARKING!! とか言われた日には、完全に波長の合ってしまった私としてはどうしたらいいのでしょう。とりあえず、西尾維新が真宵ちゃん小学5年生女子を大好きなことは伝わってきました。お互い強く生きましょうね。
この物語が上下巻である意味。作中の時系列で言えば、主人公の暦お兄ちゃんの次に怪異に行き逢った羽川翼(いいんちょ)のエピソードが、物語の最後に位置されているのも、読んでみれば納得至極。散りばめられたボケツッコミとギャグの嵐の中に、切ないまでの純愛ストーリィを埋め込む手腕も、さすがさすが。この物語がこれで完結かと思うと、まよいちゃんが最終話で放置されたままもう逢えないかと思うと非常に惜しい気持ちですが、その辺の引き際をやっぱり心得てる作家ですね。こうなると、「こよみヴァンプ」が存在しないのはむしろ当然という気もしてきます。いや、年齢制限がついちゃうからというわけではないでしょうが……。
ということで、アニメ化希望(無理無理)。とりあえず戦場ヶ原ひたぎ@大原さやかで(芸達者だ……!)。
2007年01月15日(月)
西尾維新「刀語」第一話 絶刀・鉋(講談社BOX)感想
評価: 7点[前回比: -](累計: 7/10 平均 7.0)
さすがに「ツンデレ」という言葉は出てきませんでした。しかしまあ、似たようなもんと言うか、時間の問題のような……。
大河ノベル12ヶ月連続刊行ということで、せっかくなのでアニメ作品と同様に評点をつけてみたり。まあ、導入ということでふつうに面白い。一人称ではないけどキャラが立ちすぎで誰の視点だよとツッコみたくなる地の文や、きっちり綺麗に騙してくれる仕掛けも健在。
シリーズ物ということを判りやすく意識して、主人公には12本の刀を集めるという使命が課されるわけですが、まあ、私の見立てでは、十中八九、5巻目くらいには全部揃いますね、これ(笑)。毎回一本ずつ揃ってくなんて、そんなお約束をこの作家がするはずがない。王道を窮めて冥王道、略してメイドの道を行く西尾維新ですからね。それで6巻では実はみんな偽物だったとかいう話になって、7巻からはテコ入れを兼ねてトーナメントが行われるのですよ(えー)。わくわく。
2007年02月08日(木)
西尾維新「刀語」第二話 斬刀・鈍(講談社BOX)感想
評価: 9点[前回比: +2](累計: 16/20 平均 8.0)
あくまでツンデレという言葉は使わないつもりか……。っていうか「まにわに」て。
そんな感じでまにわにだっしゅ! すっかり、いつもの西尾維新になってますねぇ、いい意味で。もう、一から十まで壮大な戯言ならぬ嘘言世界で、「そんなんありかよっ!」とツッコんでいいのかどうか判断に迷います。そんな貴方にまよいマイマイ。早く、寺子屋通いの剣士とか出てこないかなぁ。刀身よりも頭身の低い敵を所望(と、これが普通なら戯言になりそうなところが、かなり実現率の高そうな予想になるのが西尾維新という作家なの<りすか風)。
2007年03月06日(火)
西尾維新「刀語」 第三話 千刀・ツルギ(講談社BOX)感想
評価: 9点[前回比: ±0](累計: 25/30 平均 8.3)
まにわにのファンが増えそうです、いい意味で。
序章から巫女みこ言ってたり、「みたいなっ」が出たりと、いやがうえにも期待して読んでみたら。まったく、どこまでも一筋縄ではいかない作家ですね。絶対、読みを外して喜んでるでしょう。みんな、あいつの手のひらの上で踊らされていたんだ……、ただしカレイドステージ! みたいなっ。ロゼッタみたいな天才剣士少女の登場が待たれます。……冗談です当分(時限制かよ)。とがめさんが恥ずかしい台詞を言っていたと知れるまで、あと2巻。とりあえず映像化するとしたらCV:平野綾でよろしく。







