2007年03月31日(土)
古野まほろ「天帝のはしたなき果実」(講談社ノベルス)感想
これぞ天帝のまほ。
第35回メフィスト賞受賞作。これは久々に、言っちゃ悪いですが久々に過剰なまでの本格ミステリ。某読売の書評で、竹本健治・麻耶雄嵩・清涼院流水と並べられていたのも一読すれば納得。横溢する衒学趣味。大時代的な舞台設定。キャラクタはうっかり大学生かと思ったら高校生。文体とか竹本ちっくといえばいえなくもないけど、独特の喧しさはやはり新本格第三世代といったところ。吹奏楽部が舞台だからという以上に、バックグラウンドで音ががんがん鳴ってる感じ。げに、「虚無への供物」と対比されるべき作品を志向したのだなと理解できます。
まあ、文体の好き嫌いは最初の10ページくらいを読んで判断されるがよろしいでしょう。参考までに申し上げますと、私の場合、主人公がまほろくん(まほろって言うなぁ!)な上に後輩が由香里ちゃんという時点で購入を決断した次第であります。
2007年07月04日(水)
古野まほろ「天帝のつかわせる御矢」(講談社ノベルス)感想
この本がいつまでも読み続けられたらと思う、至高のそれは読書体験でした。
はふぅ。素晴らしい。破格の第一作をよすがとして、さらなる高みへ、天帝へと近づく寄る辺なきそれは絶対本格ミステリ空間。そりゃ竹本健治も推薦するはずです。メフィスト賞が終に知り得たそれは喪われた時への鎮魂の書。環大東亜特別急行「あじあ」、この文体に酔いしれた14日間の旅でした。
2007年10月20日(土)
古野まほろ「天帝の愛でたまう孤島」(講談社ノベルス)感想
「うげらぼあ!!」(古野まほろ)
麻耶雄嵩ならぬ魔夜峰央推薦って、あなた……。
はふぅ。この作家に出会えたことこそ、今年最大の収穫。過激で歌劇で、人知れず耽溺するそれは探偵劇。本格推理にありがちなカテゴライズ精神を発揮すれば、おそらく竹本ー麻耶ラインにつながる系譜だと思いますが、とにかく情報量が圧倒的。情景を頭に思い描いて読むだけで酩酊します(西澤保彦に非ず←くどい)。ホントに状況が全部映像として浮かんでいれば、少なくとも表面的な真相の喝破は「鴉」なみに容易だとは思うのですが……。あぅ、この手の館もので、当該図面がまともに機能する確率なんて近似値的にゼロだと思ってたのに(おいおい)。大森望のコメントがオビに隠されてるのにも意味があったとは。
それにしても、明らかに量産できそうにない作風なのに、この出版スピード。まあ、この業界、最初の三作だけで以降の出版スパンを推し量ることはできないんですが(黒いこと言うなぁ)。三部作というからには、当該天帝シリーズもこれで一区切りなのでしょうか。すっかり真賀田四季の風格が出てきた彼女をこのまま措くにはもったいないという気もしつつ、次作に秋波を送る次第であります。
2008年04月12日(土)
古野まほろ「探偵小説のためのエチュード『水剋火』」(講談社ノベルス)感想
「ぞなもしに染めてと君がゆうたけん、七月一日は、あかねのぞなぞなバースデー」(北野夕子)
「冷房ないのにソラシド沙汰や。これはキーが違うイメイジで理解せえよ」(陰陽師)
西尾維新以来のメフィスト賞最大の収穫、古野まほろここにあり。はふぅ、もはやなにもかも素晴らしい。あからさまに天帝シリーズと同一時空平面上の世界っぽいですが、あれよりはずいぶんライトでノベルな雰囲気。それだけにうっとうしい文体もよりいっそう輪郭を濃くして、それに酔いしれるだけで、事件も謎もどうでもいいくらい素晴らしい。それなのに相変わらず読者への挑戦状まで入れてガチガチの物理トリック叙述トリック、パノラマ奇譚百花繚乱狼藉三昧でもう参りました。
ということで、早く新房×シャフトあたりでアニメ化して、まっほまほにしてくださいぞな。
2008年07月12日(土)
古野まほろ「探偵小説のためのヴァリエイション 『土剋水』」(講談社ノベルス)感想
「夢のなかでだんご。振り返ればだんご。囁きはだんご。歌声もだんご。まさにだんごノワール。これがラーマーヤナにいうダンゴラの火か」(水里あかね)
■探偵小説シリーズ
第二弾。自転車に乗ら(れ)ない小柄な陰陽師少女・小諸るいか(通称コモ)と、自らの胸を豊かと言い張る素敵妄想少女・水里あかね(通称あかねん)が織りなす変奏曲。出だしから、ぞなぞなもしもし坊ちゃんだんご、相変わらずのソラシド沙汰で大丈夫かと思いつつ、最終的に顕然する主題は人を愛するということ。「天帝のはしたなき果実」にも通じるそれは美しく残酷なフィナーレ。そしてこれこそ、当該探偵小説シリーズが「探偵小説のための」と銘打っている理由にして存在理由(レゾンデートル)ではないかと思うのです。探偵小説……あるいは推理小説を、単なる謎解きパズルだと思っている向きには、余計なそれは過剰さと映るのでしょうが。本作における当該謎解き部分が、講談社ノベルスのフォーマットである二段組みを放棄しているのも、おそらくただの悪ふざけではない、語義上正しく確信犯的な挑発。文字通りそれはヴァリエイション。謎解きによって、通常のミステリは非日常から日常へと回帰する。しかして、古野まほろの小説は、そこからさらに異形の世界へと変貌する。陰陽が支配する、天帝が支配する世界。なればこその決め台詞。陰陽のちからをーその目に灼きつけるがいい。
次回もまっほまほです。



