2008年09月01日(月)

「日本以外全部沈没」(日本映画専門チャンネル)感想

 ……で、本当はこっちを見たかったわけですが。筒井康隆原作既読。
 ああもう、このくだらなさというか酷さが素晴らしい。あの短編を、一時間半も使って映画にするかという感じですが、筒井康隆本人も見れたし、原作より水増しされた(沈没だけに)ブラックジョークに笑わせてもらったので良いです。
 何より、「日本沈没」を見た直後だけに、CGや特撮のしょぼさがもはや愛おしい。地震なのに何故ビルが爆発するのだとか、田所博士の説明と沈没のCGが全然合ってないとか、ツッコミ待ちのところにツッコまざるを得ないのがちょっと悔しい。

00:18 Permalink

2008年09月05日(金)

西尾維新「偽物語」上(講談社BOX)感想

「ごっこじゃないよ、兄ちゃん」(阿良々木火憐)
「正義の味方じゃなくて正義そのものだよ、お兄ちゃん」(阿良々木月火)

 西尾維新史上最高傑作「化物語」の、後日譚。っていうかアニメ化ですよ新房昭之ですよシャフトですよ。夢にまで見た西尾維新作品アニメ化、ただし本当に夢物語に……なんてことになったら絶望しますが。アニメ化記念でか何か知りませんが、とうとう西尾さんフルスロットル、アニメネタも解禁でしょうか。っていうかやりすぎだ! どれだけ萌えアニメ好きなのだ……。
 そんな感じで「偽物語」第六話「かれんビー」、いちおうのメインは阿良々木くんのかわいいかわいい妹・火憐ちゃんと月火ちゃんなのでしょうが、期待通り……いや期待以上に、「化物語」および「傷物語」の登場人物、ほぼオールキャスト。しかし本当に男が出てきませんね! 阿良々木くん以外唯一の男性陣が偽物にして「敵」である人物というのは、もはや意図的としか思えません。これはいっけん小説に見えるけど、実は18禁恋愛シミュレーションゲームのリプレイなのですよ、とかアニメ放映前に偽情報を流しても信じられそうです。

「阿良々木さん、わたしはとても楽しみにしているんですよ。エンディングテーマで、果たしてわたし達ははどんなダンスを踊るのか」(八九寺真宵)
「踊ること前提かよ!」(阿良々木暦)
 そんにゃにゃか(失礼、噛みました)、やはり再会を心待ちにしていた、心持ち心待ちにしていたのが八九寺真宵ちゃんこと真宵ちゃん。っていうか阿良々木くんがすっかりこどもを近づけちゃいけない危険人物ですっ。女子小学生を、出逢うなりいきなり羽交い締めにする主人公がいまだかつていただろうか。あげくの果てに、成長しないことに価値があるとか何とか……。ダメだこいつ、次巻あたり「二次元最高」とかナチュラルに言い出しそうで怖い。二時限目は体育ですか? 二次元さんお断り(絶望した!)。
「え? 私は踊らないわよ?」(戦場ヶ原ひたぎ)
 この物語の正ヒロインは真宵ちゃんじゃなくて戦場ヶ原さんだという説もあるそうですが。……えー、まあ、ちょっと語りにくいだけであって嫌いじゃないですよ。相変わらず、この危険な魅力にくらくらしますね。阿良々木くんじゃなくてもくららぎくんです。ツンデレというツンデレをツンデレった西尾さんだからこそ書ける、ツンデレの最上級にして最終形(あぁ戯言シリーズっぽくなってしまった)。そういう意味では、たしかに難易度は最高レベル。本作を「化物語」に続くシリーズと捉えるならば、阿良々木くんが彼女のレベルにまで到達する、そしてふたりで「大人」になる、それがこの物語の最後の光景なのかもしれないと思います。大人になれない真宵ちゃんとは、やはり対極をなすキャラクタ。
「阿良々木先輩。それは萌えるがゴミじゃない」(神原駿河)
 もう一人、別の意味で危険なのが神原さん。静岡あたりに舞台探訪に行きたい名前ですが(何のこっちゃ)、この人の台詞は引用したくても危なすぎて使えません。121ページあたり、「200%趣味で書かれた小説」という今回の惹句をしみじみとかみしめました。ぜひとも「となりの801ちゃん」アニメ化中止の雪辱をはらしていただきたいところです。
「撫子、結婚するなら、暦お兄ちゃんがいいなあ」(千石撫子)
 あと、今回、撫子ちゃんが妙な方向へ突っ走っていたのが気になります。あんがい下巻あたりで、妹的存在である撫子ちゃんと、実の妹(たぶん)の火憐ちゃん月火ちゃんとの間で、壮絶な死闘が繰り広げられたりして。そんなしゅららぎさんも見てみたい。

 で、肝心の火憐ちゃん月火ちゃんについてですが。他のキャラクタのどうでもいい会話にページを割きすぎで、彼女たちの活躍があんまり見られなかったのが残念。や、テーマとか二の次で、阿良々木くんとゆかいな仲間たちの掛け合い漫才こそが本シリーズの真髄であるとするならば、それはどうしようもなく正しいのですが。
 妹であるからこそ、他人のようには話せない。言葉にしては伝わらない、拳で語り合うしかないとは何というジレンマ。ヤマアラシのジレンマ。山嵐も蜂も、共通するのは針という凶器。戦場ヶ原さんのホッチキスやエンピツとは、やはり質が違うのでしょう。

 あ、羽川さん(委員長)はめがねっこからジョブチェンジしてしまったのが残念なので割愛。

2008年09月09日(火)

そりむらようじ「ちぇり×ちぇり」1(角川コミックスドラゴンJr.)感想

 なんだか聞き覚えのある作家名で思わず買ってしまいました。

 要点をまとめると、「ある日突然あなたに小学生でふたごの妹が!」というお話。まだ話が全然進んでいないので厳しいところでしょうが、やや斬新な印象に欠ける展開。「こどものじかん」のアナーキーさと比べてしまうと、惜しいところです。
 しかし、タイトルといい表紙といい、ものすごく高いポテンシャルを随所に感じるので、これからの成長……もとい進化に期待です。中盤、ターニングポイントとなる回があって、主人公と、ふたごのせらちゃんりるちゃんが、他人同士ではなく、兄妹として接し始めるきっかけが訪れる。その証として、これ以前ではせらちゃんりるちゃんは主人公のことを名前で呼んでいるのに、ここから「お兄ちゃん」と呼び始める。けっこうさらっと描いてるので、3回くらい読み返してやっと気づきましたが……。まあそれだけ、思わず3回も読み返してしまうくらい、秘めた魅力を持った作品なのではないかということで(読み返さないと読解できない自分を反省はしない)。こじかとまでは行かずとも、「BPS」くらいにはなれるのではと(基準が判らん!)。

米澤穂信「夏期限定トロピカルパフェ事件」(創元推理文庫)感想

 小市民シリーズ第二弾。タイトルからして、スウィートでななついろなラブリーユキちゃん小山内ゆきの秘密かと思いきや、やっぱり切ないビターチューン。
 しかしそれでも、あえて今回も、小佐内さんがおさなくてかわいいですねっ! と言いたい。戦場ヶ原さんとは別の意味で危険な魅力にあふれています。山椒は小粒でもフィブリノーゲンと言いまして。小佐内さんの手にだけはデスノートが渡ってほしくないというか、いやむしろ、彼女なら渡ってもいい……? むー、とりあえず彼女に下駄で思い切り蹴られたいというのは確かです(比喩表現)。
 作品の借景に季節感を利用するのは古今東西小説の常ですが、今回は夏。それも盛夏であり、著者のデビュー作「氷菓」と対比するかのように、青果に彩られた物語。その成果として、小鳩くんと小佐内さんが手にするものはなにか……それこそがこの作品の鍵となるところですが。「小佐内スイーツセレクション・夏」と称して、小鳩くんを街中の喫茶店洋菓子店に連れ回す小佐内さん。例によって現れるは、めくるめく日常の謎。そんな見慣れた光景を一変させる、第三章「激辛大盛」。唐突に挿入されるこの一編には小佐内さんは登場せず、いっけん何のオチもなく次の章へとページを譲ってしまう。その違和感こそが、この作品をふつーの連作短編とは一味も二味も違うものに仕上げていることに、読了して改めて気づかされます。
 今回は我孫子武丸ではなく、岡嶋二人のとある名作に近いものを感じたのですが、それ以上に、今この時代の新本格ミステリとして洗練されている。この作家の本を読むと、まだまだミステリに希望していいのかな、という気がして嬉しくなります。

23:31 Permalink []

2008年09月11日(木)

森博嗣「目薬αで殺菌します」(講談社ノベルス)感想

 Gシリーズ第7弾。なんだかシリーズ前作からずいぶん間が空いて、犀川先生や西之園萌絵が助教授から准教授になってしまったのには違和感を覚えざるを得ませんが……。それでも幾久しく、これは極上のキャラ萌え小説。加部谷恵美さんがかべやくてかわいいですね!(そんな日本語はありません) 失礼、噛みました(西尾維新ファンの威信にかけて流行らせたい)。とうとうタック&タカチシリーズに挑戦でしょうか。
 例によっていろんなレベルでの謎が錯綜して幻惑されるGシリーズ。一部のトリックは見当がつきましたが(赤柳初朗なんてレギュラキャラクタがいるところに、矢場なんて名前の人が出てきたら名古屋人的に○○○○トリックを疑わざるを得ない)。しかしこれはあくまで、大きな何かの部分に過ぎないところが森ミステリィ in 講談社ノベルスの真髄。この一作だけで解かれる謎にはそれほど意味はない、あるいは、別の意味が隠されている可能性が高い。とてつもなく懐かしい人が出てきて、その名前を憶えていた自分にまだ大丈夫だと思えました。このシリーズがいつか終焉を迎えるとき、そこに現れるであろうカタルシスが楽しみです。といって、本当に某シリーズと解析接続するならば、それはカタストロフィの形を取るのかもしれませんが……。

23:22 Permalink [] [森博嗣]

2008年09月14日(日)

ヤス「五日性滅亡シンドローム」(芳文社まんがタイムKRコミックス)感想

 全2巻で完結。「とらドラ!」などのイラストでおなじみのヤスさんの、イラストだけではうかがいしれない作家性が感じられる作品でした。
 「あと五日で世界が滅亡する」という噂に呪縛された、それぞれ位相の異なる四つの舞台をオムニバス的に描いた物語。もうすぐ世界が滅亡するというのに、そこにあるのは、いつもと変わらない日常。まるで普通の日常4コマのように、ゆるゆると続いていく世界。
 ただ違うのは、それが時限制のものである(かもしれない)という留保。それすらも、章によっては、あるいはキャラによってはきわめて意識が希薄。第三章に至っては、世界が滅亡してしまった後ですら、ほとんど同じようにセカイを続けていくキャラクタたち。
 そしてとくに異色な第四章。ここでは「世界の滅亡」というテーマさえも隠蔽され、わずかにドラマの中の出来事に投影されるのみ。舞台も、それまでの学園から一転、アパートの一室に引きこもる青年とメイドさんという、矮小化された世界。
 それでも、この章が「五日性滅亡シンドローム」の一章として、しかも最終章として描かれたからには、これこそが作品の本質を体現した世界であるはず。それは、時限を失ったモラトリアム。高校という、いつか終わりの訪れる日常が、そのまま終われなかった世界。あるいは、いつか終わってしまったことに気づいていないままなのかもしれない。この章の主人公が、ひるドラ! もとい昼ドラを録画して何度も何度もくり返し見ているという設定も、終わらない世界への渇望を表しているようにも思えます。
 そして、そのドラマが最終回を迎えたとき、主人公の世界も滅亡する。あるいは、別の世界が幕を開ける。言葉にするとありがちで軽くなってしまうけれど、扉を開けたその先にも、新しい世界が待っている。

若木民喜「神のみぞ知るセカイ」1(小学館少年サンデーコミックス)感想

「現実とゲームを一緒にするな。ゲームに失礼だろ」(桂木桂馬)

 やあ、これはすばらしい。
 とある特殊能力を買われ「神」として選ばれた少年、桂木桂馬。その能力とは、彼がこよなく愛する恋愛シミュレーションゲーム、通称ギャルゲーの世界で、あらゆるヒロインを攻略できるというものだった。ある日突然、彼の元にやってきた悪魔と名乗る少女・エルシィとともに、この現実世界を舞台として、女の子たちの心のスキマを埋めていくミッションがはじまる。もはや嬉しくなるほど見慣れた導入から、見たことのないセカイが広がっていく。それでいて、いざ「攻略」に成功しエンディングまでのルートが見えると、てれりこラブコメが展開される。いまどき真っ当なラブコメをやるためには、メタな視点を導入せざるをえないのかもしれません。それはそれで良いのですが。
 読んでいくうちに、これはラブコメでありながら、本格ミステリとしても読めるのでは、と思いました。桂馬くんが攻略に用いる手法は、膨大な恋愛シミュレーションゲームのデータベースの中から、もっとも近いシナリオを選び出し、そのとおりに行動すること。そのために、攻略対象の少女の態度を、周囲の状況を観察し、あらゆる手がかりを見逃さない。そうして、彼女の隠された感情を読み取っていく。
 これは、東浩紀の言うゲーム的リアリズム、データベース化されたリアルに拠って立つ探偵手法。いわば、新世紀探偵神話。ゲームと現実は別と言いながら、まさにこの世界がマンガの中で描かれるセカイ、ゲーム的リアリズムが支配する現実であるからこそ成立する物語。
 あと、あくまで「ギャルゲ」であるので、イベントCGとかは無いのですが(少年誌だ!<でも昔久米田の野郎大先生が)。しかし重要なのはそこに至るまでの過程である、とするならばむしろ当然でしょうか。いわゆるラブコメものの大半が、主人公とヒロインがつきあうまでの過程ばかりが主眼となっていて、恋人になった後を描いていない、本当の「恋愛」を描いていないというのもよく言われることですが、この場合そんなものを描く必然性が無い。攻略後は、相手からその記憶が消えてしまうという設定も、その点徹底しています(記憶が残っていたら、次の攻略ができなくなるから、という理由もあるのでしょうが)。それでも、ちょっとした後日談というかオチが用意されているのも小粋。

2008年09月15日(月)

北村薫「盤上の敵」(講談社文庫)感想

 これは再読。「日常の謎」派の名手として知られる著者の、しかしもっとも辛辣で、怜悧な本格ミステリ。ある種の本格ミステリは、再読してみて初めて本当のすごさが判るものですが、これも例に漏れず。
 ここに現れる、とてつもない人間の「悪意」。それは私が当時も今も、もっとも憎むものであるのですが、それを徹底して冷静に描いている、著者の覚悟がもっとも感嘆すべきもの。それがあるからこそ、こちらも目を背けることができず、ラストシーンまで見届けようという勇気がもてるのです。
 兵頭三季という黒のクイーン。「四季」にひとつ足りないその名前。ならば足りない季節は何だったのか。新学期、輝かしい出会いの季節に、有貴子の前に現れた彼女。ゆきがとければ、春になる……そんな希望を打ち砕いて。それを考えると、個人的には「春」が欠けていたのかもしれないと思います。
 もうひとつ、この時点で再読したからこそ印象に残ったのは、桂の木に関するエピソード。桂の木は、葉っぱがハート形。だから暖かい。すなわち、桂心。言葉よりも、人を暖かく包み込む。この重い世界の中、それがひとひらの救いとなって、我々に舞い降りる。

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筒井康隆「エロチック街道」(新潮文庫)感想

 あっ。なんということだ。こんな傑作を今まで未読だったとは。
 「森博嗣のミステリィ工作室」で絶賛されていた短編集。ようやく読みました。これは誇張でなく、筒井康隆史上……あるいは日本文学史上に残る完璧な短編集。
 話の内容を説明した瞬間に、それは手からこぼれ、別の何かに変容してしまうような作品群。なので、あえて内容には触れません。触れませんが、それでも「日本地球ことば教える学部」には言及せざるを得ない。小説のもつ、それこそアニメやマンガでは敵わない圧倒的な可能性を形にした作品。ニクコケをポケなさい。この日本地球に生まれたからには、筒井康隆をマケ(読み)なさい。なのですよ。
 筒井康隆のオリジナリティというのは、その特異な言語感覚にあり、だからこそ余人が簡単に説明できない領域にある。とにかく、「あっ」という台詞だけで、筒井康隆だと判別できてしまうのですから。「えっと」だけで新井素子だと判るよりも、恐るべきこと。

2008年09月19日(金)

伊坂幸太郎「魔王」(講談社文庫)感想

「『アンダーソン』と『安藤さん』って似てるね」(アンダーソン)

 伊坂幸太郎にしては表紙が地味(地味って言うなぁ!)。そして中身も、今までの作品とはずいぶん違う雰囲気。こ、これはコードギアス! とか言ってたら、途中で「CODE-E」になるかと思いました。「Mission-E」にはならずにすんで安心しました(あっ)。
 こういう作品を、現実の政治に重ね合わせるのも安直だとは思いつつ。三年前の作品だとは思えないくらい、不思議なほど今のこの国の空気に近いものを感じます。おそらくは、斎藤美奈子氏が解説を書かれた時点よりもさらに、総選挙が近く感じられる今読むと一層そう思えるでしょう。まあ実際には、幸か不幸か、ここまで世界を変えられそうな人材はどこにもいなさそうですが。
 他人に思い通りの言葉をしゃべらせることを可能にする、ギアス能力ならぬ魔王の力。「DEATH NOTE」もそうですが、こういった超常的な力をもって世界を変えようという主人公が描かれるのも、どこか現代の空気を反映しているのかもしれません。新世界を望みつつ、通常の方法では変化が叶わないという諦感が支配する世界。
 もちろん、そんな絶対的な王の力が存在する物語は昔からあります。たとえば、今から二十年前には、七つの玉を集めればどんな願いでもひとつだけ叶えられる、というマンガがありました。しかし、その物語の主題はいつしか、主人公たちの前に次々と現れる強敵との闘いへとシフトし、神なる龍の力はただ死者を蘇らせるためにしか使われなくなりました。それが、バブル時代の作品と現代の作品の違い、というのは牽強付会に過ぎるでしょうか(念のために言っておきますが、個人的には「ドラゴンボール」は大好きな作品です)。
 ただ、この作品が「コードギアス」とかとも違うのは、けっきょく主人公が自覚的にその力をもって世界を変えようとする前に物語が終わってしまうこと。それが物足りなくも思うのですが、それだけにいっそう、この世界を覆う不気味で怪しい雰囲気は強く感じられます。それは、紋切り型の言葉で名づけた瞬間に別のものに変容してしまう空気。作中に出てくるとおり、あの生き物を「ごきげんようおひさしぶり」と逆通称してみたりするだけで、まったく違うものに変わってしまうような。

23:21 Permalink []

2008年09月21日(日)

竹本健治「匣の中の失楽」(講談社ノベルス)感想

 これも再読。初出から三十年、個人的に本書に初めて触れた時点からも五年以上の年月が流れていますが、この匣の中に詰められた異形な輝きは、いつまでも色褪せることはありません。
 概して、人の一生というものに限りがある以上、人がその生涯のうちに読むことのできる本の冊数というものは無限ではありえないわけで。読子さんのように、この世にある本をすべて読まないと死ねない、というのはそれこそ見果てぬ夢。ならばこそ、何故まだ見ぬ本に手を伸ばす時間を削ってまで、既に読んだ本を読み返そうとするのか。それは一面では、実際に面白いのかどうか判らない新刊よりも、もう面白いことが判っている既読本のほうが安心できるから、ということもあるでしょう。しかし、この本に限って言えば、たかだか一回や二回通読したくらいでは、既知の面白さなどまったくあてにならない。読めば読むほど、並たいていの新刊本ではとうてい及ばない未知の魅力が隠されていることに気づかされます。とはいえ、さすがに、このクラスの作品を読み返す気力は、年に何度もはもてないのですが。なんだかんだいって新刊は読みたいですし。今回の再読では、失われつつある青春のときを固着させようとする試みにもっとも感じ入ったのですが、三十代になってから読み返せば、また違うものが見えてくるでしょう。
 「ドグラ・マグラ」「黒死館殺人事件」「虚無への供物」に続く四大アンチ・ミステリの一にして、新本格ミステリの原点ともよばれる本作。しかし個人的には、もっと後の世代の作品ではじめて「本格」を知ったクチ。それこそ過去へ遡行する形で、森博嗣に触れ、綾辻行人を知り、しかるのち竹本健治に至った。久米田的に言うとポロロッカ現象ですが。ここにも世代という抗いようのない失楽が、不連続線が現れているのですよ。
 しかし、その水脈は絶えず続いている。たとえば、毎度毎度例に引いて申し訳ないですが、西尾維新にしてからがその影響は顕著。「きみとぼくが壊した世界」なんて、この「匣の中の失楽」を読んでなければ本当の面白さは絶対に判らない。章ごとに虚実反転する仕掛けで、しかも解決編では「鉤括弧が連続していく演出」なんてものまで採られている。これは何かというと、
「たとえばこんな感じで探偵役の台詞が始まる。ある程度の長広舌で、推理の道筋が語られる。
「そしてそのまま、『」』を挟まずに改行をおいて、同じ人物による台詞が続けられる」
 ……というような感じ。これを作中人物は「翻訳ものっぽい」と評していて、自分も初読時にうっかりだまされてしまったのですが、これはまさに「匣」で採られている文法。「ドグラ・マグラ」まで言及しておきながら、この作品に触れるわけにはいかなかった。あるいは、そもそも作中人物は「匣」を読んでいないというのが前提として必要だったのが、あの「世界」。後の世代が壊してしまったかもしれない本格ミステリの世界への憧憬が、そこにあったのだろうと思います。そう考えてみると、「化物語」のほとんど本筋に関係ない会話も、この「匣の中の失楽」の過剰なまでの衒学趣味、推理の合間に延々と挿入される意味があるのかないのか判らない学術談義に通じるところがあったりなかったり(どっちだ)。
 結論としては、来るべき世代にこの作品を伝えるためにも、ぜひとも講談社BOXで復刊していただきたいということで。

23:30 Permalink []

「ストライクウィッチーズ」(ぎふチャン)感想

 通称ストライズ。通称スカイズよりよっぽど、コナミアニメっぽい感じでした。いい意味でゆるゆるというか、投げっぱなしというか、明らかにツッコミ待ちというか……。おかげでAmazon タグが大変なことになってますが。ええ、まあ、こういうノリは嫌いじゃありません。っていうか好きですごめんなさい。
 「ウィッチーズ」と複数形にするだけあって、キャラがみんな個性的で、群像劇的なところが感じられたのが良かったですね。夢への共犯者とはよく言ったものです。EDだと「うんめいせ〜ん♪」のとこが好きで。毎回毎回、名塚の娘になごんだり、沢城めがねっこが素晴らしかったり、斎藤千和が天才だったり、挙げればきりがありません。逆に言うと主人公の芳佳ちゃんが地味……いやその。OPでウィッチが勢揃いするシーンに象徴されるように、それぞれ立ち位置がしっかりしてるから、第5話とか第7話みたいな超絶アホ話ができるわけで。
 そういう類のアニメだからこそ、話数が少ないのが惜しい。二クールあれば、もっとどうでもいい話ができたのではないかと。実際、ネウロイの正体はよく判らんままだし、花澤香菜なめがねっこも出てきたとこだし、続編に向けての布石は打たれているようですが。三ヶ月おいて第二期とか、最近はすたちゃがよくやってますが、そもそも最初期のアニメ魂枠がやってたことですし。

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「快盗天使ツインエンジェル」上(EMOTION)感想

 謎のOVA上巻。さいきんご無沙汰の正統派田村ゆかり主演作品、しかもパートナーは能登麻美子さんということで、なんだかよくわからないけど観ずにはいられませんでした。
 めんどくさい説明台詞いっさい不要、水無月遥@田村ゆかりに神無月葵@能登麻美子というキャスティングだけで、ふたりの性格があっという間に把握できる素晴らしい展開。乃木坂さんっぽいあおいちゃんがはるかさんはるかさんよんでるのがちょっと面白かったりしましたが、どうでもいいですね。
 しかも、そこはそれ長井龍雪監督に倉田英之脚本、かわいいだけじゃ終わらない。タイトルに「快盗」(怪盗にあらず)とつきながら、ちっとも盗んでないしふつーの正義の味方やん、というのにも律儀にツッコミを入れつつ、なかなかの重い展開。上下巻の上巻でこういう黒い引き方をしますかー。まあさすがに下巻でこんな終わり方にはできないでしょうし。それこそフジで(はいそこまで)。

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2008年09月25日(木)

新井素子「グリーン・レクイエム」(講談社文庫)感想

 表題作を含む三編収録。どれも素晴らしい! 表題作は「エルフェンリート」を思わせる、純粋で苛烈な悲恋物語。「すべてが緑になる」とでも言うべき真相には戦慄。他の二編も、吸血鬼だとか三つの願いを叶える悪魔だとか、題材は見慣れたものでも、今までにない料理の仕方で、新世界を拓いていく。この三編に共通するのは、どれも一歩間違えば世界が滅亡しかねないという状況に陥るところ。ある一編では筒井康隆みたいなブラックなオチ、またある一編では、本気で世界か恋人かを選択しようという決断を迫られる。ここまで来ると、ほとんどセカイ系に近いかもしれません。いずれにせよ、あまり暗さを感じさせないのは、やはりこの文体のなせる業でしょうか。
 そう、新井素子といえば、なんといってもこの文体。しかし、文体は文字通り体であって、そのココロは、中に何を入れるか。新井素子のような文章は書けても、新井素子のように小説を書くことは難しい。あるいはそれが、作家を作家たらしめているオリジナリティというべきでしょうか。

23:28 Permalink []

2008年09月28日(日)

「コードギアス 反逆のルルーシュR2」(CBC)感想

 記憶に留めよ。その、オレンジの日々を。
 妹・ナナリーちゃんが平和に暮らせる世界を創るという、壮大にして崇高な目的をもってはじまったルルーシュくんの反逆。辿り着いた場所は、いつか夢見た景色とはずいぶん違っていたけれど、ライトくんもなしえなかった新世界の創造を達成したことに、まずは惜しみない拍手を。
 誰もが望む平和な世界。自分の身近な人々と、平穏に暮らせる生活。きっかけは、そんな小さなことだったけれど。人の想いは様々に絡み合い、つながっていく。運命に翻弄されるように、世界に立ち向かわなければいけなくなる。そして最終的に、どの道を選ぶか。ルルーシュくんの出した結論は、非情で冷酷な、おにいちゃんとしては失格です! と言いたくもなるもの。でも、これまでのエピソードの積み重ねによって、これも、肯定すべきひとつの生き方だったと思わされます。自らが悪の象徴となることによって、「ゼロ」を完璧な正義の味方に仕立て上げる。それは無ではなく、はじまりの象徴。ピカレスクロマンとしては、文句のない出来。
 しかし、だからこそ、ルルーシュと正反対の道を歩んだ存在に、同じくらいの愛着を感じます。それはスザクやカレン……ではなく、ジェレミア卿その人。ギアスキャンセラという力を持ちながら、忠義という名の下にルルーシュの一兵卒として闘い、最後にはアーニャを得てオレンジ畑を耕す。ルルーシュたちが日常を捨て非日常に身を投じたとするならば、このオレンジは非日常を経て平穏な日常を得た、ある意味最高のハッピーエンド。なんでこのキャラがこんなに優遇されてるのかよく判りませんが、とにかく目が離せない人でした。
 前半のアッシュフォード学園のすぺしゃるえーな日常、後半の怒濤の展開、いずれも極めて高いレベルでバランスの取れた、良い作品でした。オールハイル谷口監督。

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2008年09月29日(月)

豊島ミホ「檸檬のころ」(幻冬舎文庫)感想

 舞台はとある田舎の高校。そこに通う生徒たち、あるいは時に、かつて通っていた卒業生たちが織りなす物語をつづる、連作短編。とても普通なのですが、普通なだけに、アニメやマンガなどではなかなか描かれない日常の風景がとても印象的。恋愛を描いている章も多くありますが、いわゆる典型的なラブコメ的なものではなくて、高校生の日常の中にそれが溶け込まれている、といった感じ。この雰囲気、仮にアニメ化するとしたらハルフィルムメーカーくらいでないと再現できないかもしれません。
 自身の高校生活がろくなもんだったかろくなもんじゃなかったかは措くとして、もうそろそろ十年の時を経ようとしているのに、ふとした瞬間に思い出すことがある、あのころ。自分自身は、もう二度と、あそこに戻ることは出来ないけれど。それでも、今もどこかで、その時期を過ごしている人たちがいる。この本の二話目に、そうやって高校時代を過ぎ去ったものとして見つめる人物の話が来ているのも、そんな輪廻感を補強しているように思えます。これが最終話だったら、単なるエピローグというか、ちょっと救いのない話に見えてしまったでしょうけれど。実際は、これがこの位置にあることで、そして最終話は最終話で、また別のキャラクタの卒業を描くことで、全体として時間的な多面性をもった物語になっています。
 それと同時に作品に織り込まれているのが、「都会」への憧れと恐れという相反する感情。卒業後は必然的に多くの生徒たちが都会の大学へ通うことになる。また、進んで都会に行きたいと願うものもいる。でも、それは、今のこの生活が消えてしまうことの裏返し。だからこそ、この田舎の高校生活というものが貴重なものに見える。何度も出てくる電車通学のシーン。無人駅では、ドア付近の開くのボタンを押して開けるという描写までが鮮烈です。それは本当に電車? 実は気動車だったりしない? という疑問は浮かびますが。

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2008年09月30日(火)

「Canvas2〜虹色のスケッチ〜」第3話 悪戯なカナリアイエロー(AT-X)感想

 本放映時、就職に伴う引っ越しで最後までちゃんと追えなかった作品。三年ぶりに見返し中。川崎逸朗監督といえば、同じくAT-Xで放映中の「レンタルマギカ」も、お約束あり、めがねっこ幼なじみ関西弁植田佳奈ありと、意外に楽しく観れています。
 で、こちらは、かなはかなでも、ちっちゃなカナとおっきなリボン(それはまた別の作品)。阿澄佳奈までこっそり隠れていたのは、再見したからこそ楽しめるポイントですが……。女子高生小説家の萩野可奈@徳永愛につきあっての恋人ごっこ珍道中。演出・山本天志らしい弾けぶりで、シリーズ中もっとも印象に残った回といっても過言ではありませんが、さらに再発見、この回、岡田磨里シナリオだったのですね。「true tears」ほどの泥仕合にはならずとも、エリスちゃんと霧さんの対立と共存の微妙な関係を巧く描いていることに、改めて気づかされます。タイトルをオチとも絡めて「イタズラなKiss」にひっかけていたのにも、ようやく気づきました。

坂井由人+坂井直人ほか「アニメノベライズの世界」(洋泉社)感想

 書名の通り、数多のアニメ作品を基にして発表された小説を論評した本。いわゆる非公式な二次創作ではなく、あくまで公式に元作品のクレジットがなされた作品が対象ですが、思った以上にその世界は広い。
 前書きにあるとおり紹介される作品は1970〜1980年代が中心。しかも個人的にロボットアニメをまったく観ていないもので、ピンと来ない部分も多いですが、古本屋でちょっと意識して探してみると面白いかもと思える作品がいろいろありました(そもそも、この本自体、シンコ書店ではない古本屋で見つけたもの)。原作マンガをそのままアニメ化した作品に意義を見いだせないのと同様、ただのアニメノベライズには興味がありません状態だったのですが、ちゃんと小説というメディアの特性を活かして、さまざまな趣向が凝らされている、そんな作品も多くあるようです。
 小説とアニメの違いは何かと言えば、映像と活字という表現形態の違いは言うに及ばず、最終的に一人の文責にかかっているかどうか、という点も大きいと思います。エラリィ・クイーンや岡嶋二人のようなコンビ作家という例外もありますが、その場合でさえ、あたかも単一の作者のような名称がつけられている事実が、かえって作者という存在が一個人によってたつもの、という思想を強調している。
 アニメの場合、監督が毎回絵コンテを切ったり、シリーズ構成が全話の脚本を担当することさえ珍しいケース。それに対し、小説の場合は一人の作家に(いろいろな制約はあるにせよ)物語が委ねられる。だからこそ、その人の個性、作品の捉え方が色濃く出るのだと思います。アニメ本編の補完なんてレベルを超えて、新たな世界を紡いでいく、それが本当に「小説」とよぶにふさわしいもの。最近では宮村優子による「電脳コイル」のノベライズが特筆すべき作品でしょうか。

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