2008年05月19日(月)

磯光雄原作/宮村優子著「電脳コイル」5(トクマ・ノベルスEdge)感想

■ノベライズ以上の小説

 アニメとはまた違った世界観を疾走する、小説版「電脳コイル」。ここにきて、完全に小説オリジナルのエピソードが描かれ、小説単体としても名作になりそうな予感。唯一「子ども」という表記だけは気になって仕方ないのですが。
 アニメ以上に徹底して描かれるヤサコとイサコの対立。それが今巻でひとつのピークを迎え、おそらくは両者にとって永遠に忘れられない夏の日の記憶となる。これがアニメ最終話「ヤサコとイサコ」に対応する話だとしたら、この先は、どんなものを描いてくれるのでしょうか。

■茅の輪をくぐる頃に

 その特別な「夏の日」というのが、茅の輪くぐりとよばれる神事の行われる日。なんだか「ひぐらしのなく頃に」みたいな、ただし梨花ちゃまの演舞はありません! みたいな。
 ここでさらに「ひぐらし」との類似点として出てくるのが、こどもと大人という対立軸。ある事件がきっかけとなって、こどもたちが電脳メガネを使うことを好ましく思わない大人たち。少年少女たちに投げかけられる、明確な悪意。これもアニメ第24話「メガネを捨てる子供たち」の変奏とも言えなくもないですが、さらに小説版では、メガネをかけられる年齢に上限がある(実は下限もある)という設定があるので、より意識的に、今後のメインテーマとなってくるものと思われます。ヤサコの祖母・メガばあすら敵かもしれないという台詞まで出てきてるので、かなり殺伐とした話にもなりそうですが、果たして。

■匂い立つ物語

 それにしてもこの作品、読んでいる途中で思ったのですが、「匂い」の描写の使い方が実に巧い。ネタばれになるので詳細は避けますが、とある食事の匂いの記憶が、作中のキャラクタが心を通わせるきっかけになったり、イサコという存在を携行するドライジンジャーの匂いで隠喩したり。
 このあたりはやはり小説の力というべきでしょう。「○○の匂いがする」と小説なら地の文に書けても、アニメでは台詞にするほかなく、くどくなってしまいがち。いくら作画に力を入れても、情景が匂い立つまでの雰囲気を作るのは至難の業。匂いの出るTVが実用化されないかぎり、あるいはハウス世界名作劇場でもないかぎり、それが映像メディアの限界でしょうか。同じように、電脳メガネが映し出す世界にも(おそらく)嗅覚は存在しないので、対比としての生身の世界をより強調している、とも言えます。
2008年05月19日 23:10 [] [電脳コイル]