まさに豪放雷洛。電火放蕩、兄弟姉妹。妹がいなくったってお兄ちゃんは素晴らしい。
小説とはかくあるべし。圧倒的なそれは想像力。例によって京都という舞台を借景に、天狗的・狸的妄想が駆けめぐる。「偽」という概念が物語のあちこちに顔を出すそれはマジック狸アリズム。偽電気ブラン作りに精を出したり、偽叡山電車に化けたり、「偽右衛門」という象徴を追い求めて奔走したり。そんな彼らが、現実の京都に積み上げられた「偽」の京の街に跳梁跋扈する。もう、私が京都で大学生活を送ったのはこの小説を読むためだったといっても過言ではありません(過言だ)。クライマックスの、寺町通を文字通り疾走するところのディテールアップは圧巻の一言。三月書房は健在かなぁ。
ところで先日、著者の登美彦氏がNHKの「トップランナー」に出演されてたのを拝見したのですが、小説は文章でしか考えていないというのにちょっと驚き。まあ、自作の映像化で誰に演じてもらいたいかという質問に答えての発言だったので、人物に限ったことか、あるいは韜晦なのかもしれませんけれど。私は読むときも書くときも映像を思い浮かべないではいられないのですが、世の本読みがみんなそうとは限らないらしいというのは、つい最近認識したこと。それは、小説体験とマンガ・アニメ体験と、どっちが先にあったかの違いなのかなぁ……とも考えたりしてます。どちらにせよ、作者のイメージをも超えて、読者ひとりひとりに固有の読書体験を顕現させる小説こそ「真」の小説。