2005年06月05日(日)

「交響詩篇エウレカセブン」第08話 グロリアス・ブリリアンス(MBS毎日放送)感想

「世の中にはね、受け入れる運命と、抗うべき試練があるの」(ティプトリー)

 なんだこりゃー。こりゃまた、容易には没入を許さない物語ですな。

 今回のテーマも、やっぱり「大人と子供」というキーワードに集約されるようなもの。子供は子供で、わがままで自分勝手で、すぐ泣き叫んでうっとーしいし、大人は大人で何考えてるんだか判ったもんじゃない。感情移入できるかどうかはともかく、今現在視聴者に一番近い目線にいるのはレントンであり、その彼の中途半端な立ち位置からの板挟み状態がよく伝わってきました。
 レントンがエウレカの笑顔を唯一の行動原理の元としているのは既に明示されたとおり。そして、どうやら、エウレカのほうもそれなりにレントンを頼りにしている様子(ちなみにここまで、エウレカ視点のシーンがまったく存在しないのは、当然とはいえ正しい作劇法)。子供の「叱り方」をレントンに問うエウレカ、そして言われた通りを実践。あー、やりすぎだっつの。レントンも判ってるなら軽々しく口にするなよ。「叱ってくれる大人がいなかった」っての、実はエウレカ自身にも当てはまるのでは? GEKKO STATEではとりあえず彼女が叱られる機会はなさそうだし(もちろん彼女の正体はおろか年齢すら未だ明らかでないわけですが)。
 しかし、今回のレントンには、けっきょくどこがエウレカにとってカッコ良かったのか判らずじまい。おまけにエウレカからは「小5」の計算ドリルまで渡される始末。教育制度まで日本と同じなのかは判りませんけど、レントンって中学生くらいの年じゃなかったっけ?(単に三瓶&名塚からの連想かもしれませんが) 「小学生」か「中学生」かってのも、字面から受ける印象がだいぶ違いますから、これは確実にレントンが「子供」の範疇に入る存在である、と宣言されてるのと同じです。だからこそ、ホランドやボダラクのおばさんといった「大人」への違和感も、拭いがたく存在したまま。そのへんがまあ、物語の根幹に横たわる謎への足がかりになるのでしょうから、ここで解消されるはずはないんですが。
 しかし、さすがにちょっと今回は判らないことが多い。エウレカの子供が逃げ込んだ先の夫人が、ホランドたちの追っていた人物だった、という「偶然」は、それこそボダラクとやらのいう「運命」だとして片づけるにしても、街中でLFOなんかで追うんじゃねえよ。5話のときもそうだったけど、自治レベルでの警察組織みたいなのは機能してないのか? この世界。月光号から一歩外へ足を踏み出すと、こういうとこが気になってくるんですよね。

 ところで、討ち入りの時、裏口に回ったムーンドギーが扉の下敷きになって、しっかり役立たずぶりを披露してくれてるのには笑った。

投稿者plateau: 2005年06月05日 11:00 [交響詩篇エウレカセブン]