「バイバイ、またね」(坂下ゆずゆ)
うむ、今回も地味に佳い回。
まりかちゃんに、自分だけ違う制服を着ていると言われるゆず。相変わらずまりかちゃんがかわいいなぁ。で、そのことを自分で言い出すでもなく、結平が気づくわけでもないのがまた良い。皐くんが気づき、鈴子お姉様が憤り、母親が今後のことを心配する。ちゃんと片倉家のみんなが機能しています(祖父母は別として)。結平が鈍感というよりも、毎日見てるからこそ逆に気づかないものなのでしょうね。別に皐くんが実はちっちゃい子に興味あって、というわけでもないでしょうし(どうしてもその方向に結びつけたいようだな)。
服、とりわけ制服というものは、人間の社会性をそのまま象徴する存在。対外的には、自分がどんな文化・階級・組織に属しているかを明示するとともに、それをまとった己にもそれを自覚した行動を促し、さらに同じ制服を着た仲間内での連帯感を高める効用もあります。もちろん、その裏返しとして、「みんなと一緒だから安心する」「毛色の違う者は排除する」という、日本人に顕著な横並び意識、ムラ社会意識をも生み出すもとになるのですが。
とはいえ、幼稚園児という段階では、まだそこまで社会性かが高まっていなくて。事実、ゆずゆちゃん自身も、みんなと同じ制服より、「ママが買ってくれた制服」を望みます。ここで彼女が、制服(帽子)こそ、ママが自分を見つけてくれる目印であると信じているのがポイント。ゆずゆにとって、社会とは母親の存在でしかないわけなのですね。これは子供の社会性獲得の段階からいっても、非常に幼児期の段階にあります。実際、最初にゆずの母親が幼稚園の制服を買ったときには、「幼稚園で友達がいっぱい出来る」と言っているわけですから、母親の喪失によって、一時的な幼児退行を起こしていると考えられます。
だからこそ、今回の結平の言葉は非常に優れた解決手段。「母親なんだから、ゆずがどんな服を着てても見つけてくれる」。母親という存在を、自分をとりまく社会よりもっと内側にあるものとして規定しなおしてあげる。その証拠として、母親はゆずを赤ちゃんの頃から見てきた、と言ってあげることで、ゆずの成長段階をも正常な位置に戻してあげることに成功しています。だからこそCパート、新しい、みんなと同じ制服を着て登園したゆずを、まりかちゃんが「なかなか似合ってるじゃない」と認めてくれたというラストは、この上なく救われるものになっているのです。
それにしても、あの流れで行くと、結平はゆずがパジャマから制服に着替えるところを横で見ていたとしか思えない。お風呂に入れる役目もずっと彼のものだったようだし。ますます結平の許せん度が上がったな(いつものごとく締めが台無し)。
投稿者plateau: 2005年05月07日 20:00 [2005年4-6月アニメ感想] [愛してるぜベイベ★★]