2005年05月12日(木)

「ふたつのスピカ」第15話 ひとりぼっち(NHK教育)感想

「寂しいなんて思わない。私はひとりでも生きていける。そのはずだったのに。それなのに」(宇喜多万里香)

 なんだこりゃー。お話自体はそれなりに良い感じの友情話だったのですが、肝心のところがぼかされてて、なかなかに消化不足。

 ずっとひとりぼっちだった万里香ちゃん。その状況をそれでいいと受け止めていたはずの自分。でも、アスミたちと出逢って、彼女の気持ちに少しだけ変化が……。
 うーん、私自身、けっこう昔からひとりでいることが多くて、むしろひとりのほうが好きで、安易な友情話はあんまり好きじゃなかったほうなんですが。なんか最近、こういうのが許容できるようになってきました。リリカルなのはも楽しんで観れてますし。もちろん、自分の思想にかかわらず、物語として出来の良い作品には純粋に感動する人ではありますけどね。それともやっぱり、ネット上とはいえ、最近微妙に友人(というか同志、あるいは騎士団というか)が出来たせいかもしれませんな。というわけで、ひとりがいいとか言っててもやっぱり強がりで、さみしがりやだった万里香ちゃんに、やたら感情移入してしまいます。
 で、こういう話で重要なのは、当事者(今回で言うとアスミと万里香)だけではなくて、その周囲がしっかり話に絡んでくること。府中野くんはそれこそアスミの騎士団として、「自分だけ安全な場所にいて」と言った万里香ちゃんに、アスミの過去を示唆する言葉を投げかける。秋も、落ち込んでいるアスミをデートに誘い、いっしょに星を見上げる。
 ちなみに、ここで秋が「自分たちが見ている星は、何万年も昔の光」と言ってるのもポイント。この発言、たしか以前にライオンさんあたりが言ってたと思うんですけど(自分の書いた感想の過去ログを探したけど見つからなかった)、まさにこの作品の根幹に関わる問題ですね。「星を見上げる」という行為が、アスミの名前に象徴されているとおり未来を指向したものでありながら、それはどこまでいっても過去からの射影に他ならないということ。そういえば、「万里香」って名前、「万里」というのはそれこそ「何万光年」に通じますね。えっと、言わずもがなですけど、「光年」ってのは光が一年に進む距離を表す、長さの次元をもった量ですよ。「私に勝とうなんて百万光年早い!」みたいな時間の単位ではないですからね。
 話を戻して。「周辺人物」ということで言えば、やっぱり圭ちゃんが良いのですよ。「今日もわからんかった」「いつになったらこの地獄の責め苦から抜け出せるのかね〜」といった発言の数々に萌やされつつ、アスミのような、ある意味優等生的な視点からではない目線の導入という役割をしっかり果たしています。圭ちゃんの発言から垣間見えるのは、緩やかな現状の否定と、ぼんやりとした将来への不安(芥川じゃないけど)。毎日がそれほど楽しいわけじゃない、でも昼食をヤケ食いしたら全部オッケー! 見たいな、そんな日常というものの本質を切り出していると思います。まさにチョコパフェとかイケメンとかマジに夢中になれそうな年頃。万里香ちゃんの視点のシーンですけど、この年頃の特権性というのを保健室の先生の口から語らせているのも巧い。
 で、かもめ寮へやってきた万里香ちゃん。おお〜、ライオンさんとの邂逅は、こういう形ですか。うーん、やっぱりライオンさんの姿を見られるのはアスミだけの特権のようです。いつものように窓枠で切り取られた夜空も、今日は意味が違って。そういえば、この作品も元は16:9だったりするのか、所々画面の端が見切れてるような気がしました。最初の教室のシーンで、アスミと話してる万里香が最初画面に入ってなくて、少しずつパンしていったりとか。元々の演出意図と違って見えているとしたら問題かも。
 で翌朝。相変わらず女子三人の登校姿を窓から覗き見フッチーです。なんか懐かしモノいじってるなー、と思ったら、よりにもよって4x4のルービックキューブかよ! それ地味にムズいんだぞ〜。秋も一瞬で揃えるなんて、どういう技持ちだ。

 で、そのフッチーのセリフで「アスミが中学時代に好きだった人」って誰だっけ? と思ったら、次回の話のようで。って、桜か! これまた私好みのポイントを突いてきますなぁ。

投稿者plateau: 2005年05月12日 22:47 [2005年4-6月アニメ感想] [ふたつのスピカ]