2005年03月04日(金)

「ふたつのスピカ」第5話 おかあさんの顔(NHK教育)感想

「わたしが……わたしが……わたしが描いたの。絵を描いたの。あげる」(鴨川アスミ)

 どうも、お待たせしました〜。放映はリアルタイムで観て、書くことも決まってるのに、実際に書く時間&気力がとれないというのは、なかなかもどかしいものです。

 さて。予想通りアスミの過去話だったわけですが、こういう話をもってくるというのはちょっと予想外でした。こういう話はいろいろ解釈が可能だと思います。本当に「三途の川」とか「死後の世界」というものが存在していて、実際にアスミがそれに触れた、という考え方も可能でしょう。しかし、ここではあえて唯脳論的に、すべては生命の危機に陥ったアスミの脳内で構築された世界だった、という解釈を採用してみましょう。いちおうの根拠は、直前のシーンで父親に「死んだらどうなるのか」と訊いたアスミが、「三途の川を渡って……」という具体的イメージを聞かされていること。これが頭にあって、今回の話をアスミが体験した、と考えられます。
 そうであるとして、この体験はアスミにとって何の意味をもつのか。それはすなわち、「母親の存在」の克服であるといえます。学校で家族の顔を描こうという課題を出されて、包帯巻の母親の顔を描いてしまった体験(だーかーらー、アスミのいるクラスでそんな課題出すとは、鈴成先生相変わらず迂闊過ぎ)。それを指摘した府中野君には悪気はない、というかむしろ、好きな子にいぢわるしてしまうお年頃なんでしょうけど、ともかくこのことが、それなりにアスミの精神的外傷になったと思われます。それを克服するために、今回の邂逅が果たされなければならなかったのでしょう。自分の中で、そんな母親の絵を描いたことに対し、それで良い、そうでなくてはならない、と肯定するための理由づけのために。だから、母親が顔に包帯を巻いているのは当然のこと。単に、顔を知らない、というだけの理由ではありません。それを考えると、「ライオンさん」とおぼしき人物がライオンの仮面をつけずに登場した理由も判ります。顔が見えない、というある種の特権性は、母親にのみ付与されなければならない。
 ちなみに、今回の話がアスミの想像=創造した世界だった、という解釈に立った場合、この「ライオンさん」の存在はどう正当化されるのか……という問題がありますが、実は第1話で登場したライオンさんと、以降のライオンさんは別々の存在である、ということも考えられます。1話ではラストで鈴成先生のもとに姿を現しているので、アスミだけの空想の産物とは考えにくい。しかし、その後でアスミに教示を与えるライオンさんという存在は、その一度の邂逅によって想起された、いわばアスミの脳内人格といえるかもしれません。むしろ、今回の体験によってそれが発現した、と考えるのがいちばん妥当でしょう。その場合、アスミ自身が、「ライオンさん」の存在が以前とは別である、ということを自覚してはならないために、その移行は隠蔽されなければなりません。したがって今回の体験においては例外的にライオンの仮面をかぶっていない、ということも考えられます。まあその場合、何故ライオンさんの素顔を知っていたか、という問題が新たに派生するわけですが……まあ、有名人だし新聞に顔が出たか、鈴成先生が写真をもっていて、ちらっと見たか、というあたりで。
 そして、その「ライオンさん」から受けた、「ここでは名前を名乗ってはいけない」という訓戒。これにも重大な意味があります。名前とは個人のアイデンティティそのもの。名前を名乗ることで、自分がその世界の住人であるという意思表示になります。まさに「Anonymous」であることで、自分がゲスト=外の人であることが保証され、死後の世界から現実に戻ることが可能になります。ここまではまあ、この世界がアスミの脳内世界であってもなくても成立する話ですが、さらにその仮定を置いた場合、そんな縛りをアスミが何故入れたのか、という理由が必要になります。それは逆に、現実世界で自分が「鴨川アスミ」である、ということを意識している、ということ。前回までの「現在時制」パートで毎回冒頭に「わたしのゆめ 1ねん1くみ 鴨川アスミ」と出てきたのも、それを強調する意図があったのですね(まったく、萌えている場合じゃありません私)。ひょっとして、アスミは父親や先生といった大人以外、つまり友人から「アスミ」と呼ばれることが少なかったのかもしれません。府中野君も「鴨川」と呼んでますし。アスミが溺れたことを父親に報せにいくときも、「鴨川がおぼれた」と言ってます。や、私自身が京都に住んでるせいか、非常に不思議な響きがあります(笑)。苗字だけ聞くと人名か地名か判らない、というのは、単に作品における統一的キャラクタ名付け手法のひとつかもしれませんが、いずれにせよ効果を上げています。これを考えると、現代パートで圭ちゃんが最初から「アスミ」と呼んでるのが印象的ですね。他の人たちがアスミを名前で呼ぶことはあるんでしょうか。
 あと、府中野君のことにもう少し触れておきましょうかね。先ほど言及した、アスミの絵を指摘した後、からかうクラスメイトの足を踏んでます。自分で焚きつけておいて……。「鴨川で遊んでいいのはオレだけだ」なんて思ってるんじゃないでしょうね? 気分はすっかり桃矢くんですか。まあ小学生くらいならかわいいものですけど。ラストでも「別に鴨川の絵を見てたわけじゃ」なんて言ってますし、このころから全然変わってなかったのですね。ただ、男だとすぐ成長して、かわいげがなくなるからなぁ……(何の話ですか)。

 しかし、今回の話でひとつだけ、そして大きな疑問点が。これがいったい、現代パートの閉鎖環境試験のアスミとどう絡んでくるのか。この母親の話は、宇宙を目指すというアスミの夢と直接関わるものでもないようですし。そりゃまあ、最後におかあさんは星(スピカ?)になりました、ということもできますけど、けっこうこじつけっぽい感じがします。まあそこは、次回どう展開してくれるかに期待しましょう。

投稿者plateau: 2005年03月04日 22:56 [2005年1-3月アニメ感想] [ふたつのスピカ]