「夢と、同じだ……」(木之本桜)
今回はサブタイトルそのままに、ドリーム(夢)のカードの話。クロウカードが蝶の形じゃなくて人間型だったら、「夢の妖精、略してー!?」というラジオ・アベ商ネタが言えたのですが(言わなくてよろしい)。
や、真面目な話、こういう話けっこう好きなのですよ。夢っていうと、典型的な悪い最終回の例として槍玉に挙げられる「夢オチ」に代表されるように、「なんでもあり」だと思われて人によっては嫌われることも多いのも事実ですが。実際には、夢にも夢の文法というのがあって系統だっている。それを制作者が自覚的に取り扱っていることが明確で、とても面白い回でした。
夢の役割は現実の再構成。その人物にとっての過去の肯定、そして未来への気持ちの整理。クロウカードが見せるものは現実にはありえない「予知夢」ですが、知世の見た夢といいさくらの見た夢といい、くり返しバンク映像が使われていることからも判るとおり、その意味づけはなんら変わるものではありません。もちろん未来というのは過去の来歴のもとに訪れるものですからね。
ちなみに、非能力者である知世ちゃんが見た夢は、さくらの歴代コスチュームに囲まれて耽溺するという素朴なものだったのに対し、能力者である小狼・さくらの夢は、その視線の先にもうひとりの自分を見るという、一段メタ視点に立ったものになっている点が面白いですね。小狼の場合はまだ、スクリーンの中で契りを交わす自分とさくら、という「一方通行のフィクションを見る感覚」をそのまま体現したものでしたが、さくらの夢はこの「視線」の問題がもっと複雑になっています。東京タワーの売店に現れる桃矢、そして雪兎。ここ数回の「さくらの出先でバイト中の兄にばったり逢う」という展開、そしてさくら自身は知りませんが、桃矢がさくらのやっていることを気づいているという前回が、非常に巧い伏線になっています。ケロちゃんという、他人に気づかれてはいけない存在が表に出る。それはまさに抑圧の解放に他なりません。
カードのせいで、父親のパソコンを壊してしまい、それを正直に言うことが出来ない辛い記憶。自分を怪獣と呼ぶ兄に、カードの力で精神的優位に立つことが出来た日のこと。家族と、仲間と、共有してきた思い出は、たとえ秘密があったとしても、かけがえのないもの。それを肯定することで、さくらはこの先のステージに進んでいけるのでしょう。ガラス越しに現れるもうひとりの自分からの「絶対、大丈夫だから……」というメッセージを、胸に抱いて。
映像的演出も素晴らしい。東京タワーの中に入ってからのシーン、光と影の演出がプリキュアばりに鮮烈です。CCさくらとプリキュアとの相似点は何度も言及してますが、単なるネタで言ってるのではなく、当然のごとく大きな影響を与えているでしょう。広大なネットのどこかでは恐らく、(うちみたいな中途半端なレベルではなく)しかるべき考察がなされているものと思いますが……。ところで、この演出のなされている間というのが、そのまま「さくらの夢の中」であると最後に判明しますけど、私の好みとしては、明言せずに視聴者の考察にゆだねるというのでも良かった気はします。まあ、この時間帯を考えると、判りやすくしているのは当然とも思いますが。
ちなみに、「夢」が現れる前の日常シーンも好き。歌に乗せてのショッピングって、「D.C.〜ダ・カーポ〜」を思い出します(放映の時系列は逆ですが)。やっぱり良いのは、4人の中で一番はしゃいでる苺鈴ちゃん。ちょっと前なら、ゲームに奮闘するさくらに「こっちは私がやるわ。木之本さんはそっちを!」なんて言って手助けなんてしなかったでしょうね。そもそも、こうして4人で休日に遊びに出かけること自体無かったでしょう。小狼ほど判りやすくはなくても、彼女も確実にさくらに影響されて変わりつつあるのだなぁと思います。それだけに、小狼とのことが不憫なのですが。映画館で小狼にあぷろーちしてるのに、彼のほうは苺鈴越しにさくらを見てるというシーンは涙無しには見られない……。
投稿者plateau: 2005年02月12日 23:12 [2005年1-3月アニメ感想] [カードキャプターさくら]