「はぁ〜、のぼせたのぼせたのぼせた〜」(志穂)
女子中学生はかわいいなぁ。萌え萌えだなぁ。
…………ちょっと待った! 非難は最後まで読んでからにしてください!!
今回のお話では、科学部であるはずのユリコがさかんに「山の神様」だの「神隠し」だの言っているのが印象に残ります(何事もなかったかのように)。
別に、山神信仰が非科学的で迷信だと否定したいわけではないのです。アカネさんが言うとおり、それは人々が自然に対して畏れを抱き、またそれとうまくつき合っていくための先人の智慧だったのですから。
しかし、現代に生きる我々にとってみれば、山は異界。それも、日常の生活とはほとんど切り離された意識レベルに存在するものです。これまでの話でもそれは感じられます。山でクマさんに遭ったリだとか、農家のお手伝いをしたリだとか。本当にそこに生活する人々の意識に同化することはできない。単に「自然は綺麗」だとか、「田舎は素敵」とか、そういう通り一遍の理解しかできない。なにやら話がジブリめいてきましたが、けっきょくはそういう無自覚を体現するものとして、ユリコの発言はあるのではないかと。
では何故、そんなことになったのか。これも使い古された論説ですが、やはり「大人の不在」というものが核にあるのではないでしょうか。実際、ベローネ学院の校長も教頭も、どこか頼りなさげなキャラとして描かれています。唯一、アカネさんだけが「しっかりした大人」を体現しているように見えますが、彼女はまた別の役割を振られているような気がします。
生徒とともに自然に触れ合いたいと言う校長。夏合宿の総責任者の教頭。しかし、停電ひとつ自分で直せずに、ほのかの力を借りてしまう。頼りにならない、ダメな大人。
そう、そこで「萌え」ですよ!
萌えというのは畢竟、ダメな大人から発せられる「かわいいもの」への思慕! しかし、心の隅でダメなことを自覚しているからこそ、「萌え〜」という言葉を発せられるわけで。制作側は、女子中学生に萌えさせることで、(大きな)視聴者に自覚を促しているのです! 言い訳終わり
ということで、対イルクーボ。彼こそはピーサードよりも、ポイズニーよりも、「大人」を体現している存在です。「人は平等ではない」と言い切り、プリキュアマーブルスクリューを正面から受け止め、そしてプリズムストーンを奪い去ったイルクーボ。今回は、15話のような助け舟は出てこなかった。すなわち、「山の守り神」の非在。そして逆に、守るべきものを守れなかったプリキュア。ふたたび、志穂莉奈や、ユリコを巻き込むことになるのか……。このあたりは次回でしっかりと描かれると思うので、期待して待ちましょう。
ということで、選挙行ってきます。ダメな大人でもこのくらいはね。日本に関心を持てるのはアニメだけですか?(しつこい)
投稿者plateau: 2004年07月11日 11:12 [2004年7-9月アニメ感想] [ふたりはプリキュア]