2005年03月31日(木)

「ふたつのスピカ」第9話 カムパネルラの森(NHK教育)感想

「ついてね〜。鴨川に関わるとろくなことねーんだよなー」(府中野)

 ぬあ〜、これは……。過去話だし、山奥の廃線だし、まさに今は(禁則事項です)。

 ということで三度目の小学生アスミ。現在時制の話と、過去の話の明確な違いは、アバンで示されているとおり、そのベクトルの向き。現在の話では、ここまで毎回アスミの「あたしのゆめ」が挿入され、未来を志向しているのに対し、過去の話はロケット事故の瞬間という過去をフラッシュバックさせている。それと呼応するように、物語の中でも、主人公(あるいはその他の登場人物)の決断のきっかけとなるのが、未来への希望か、それとも過去の思い出かというのがちゃんと峻別されています。なお、前回の宇宙資料館の話は、一見過去を向いているように見えますけど、資料館というのは現在の人間が、現代を生きる人々のために整備したものであって、今回のように打ち捨てられたままの過去(秘密基地)とたまたま出逢う、というのとは意味合いが異なります。これは一般論としても言えますが、資料館の展示は、そのものが過去のものであっても、現代の人間の目というフィルタを通して意図的に並べられているわけです(その是非はここでは措くとして)。
 さて、では本編の議論に移りましょう。あからさまに怪しい冒頭の無声映画シーンなんかは、疑おうとすればいくらでも疑えるんですが、諸事情により割愛(下手すると某ミステリのネタを割ってしまいそうなんで)。今回過去に向き合うのは、アスミというよりはむしろ鈴成先生です。アスミが上京する際、ライオンさんが「過去にとらわれている」という描写が出ましたが、今回、過去に、唯ケ浜にとらわれているのは鈴成先生ですね。学級崩壊な鈴成先生のクラス。きわめて単純化して言えば、児童との接し方に問題があるんでしょうね。現在パートで、宇宙学校に合格したアスミに、有用な訓示を与えるシーンと比較してみれば、この段階での彼女の欠落はそこでしょう。鈴成先生に限らず、今回出てきた教頭らしき人物もやはり問題あり。遠足でアスミが行方不明になったという報告を受けて、児童の心配より先に教師の責任問題を云々する。仮にも他の児童のいる場で、この発言はあんまりです。こういうふうに、子供に対して大人げない態度を見せる人間、というのがこの作品では頻出しておりますね。
 で、府中野君にも「ヒステリー気味だ」と言われてしまう鈴成先生。相変わらずかわいくないですなー府中野君は。そこがかわいいんですけど(そういう発言はやめろ)。思わずはっ叩かれるんじゃないかと心配しましたよ。まあ、さすがにそこは自制心のある鈴成先生。で、「ロケット」の中でアスミを発見。その場が鈴成先生の記憶を喚起する。うーむ、見覚えのないはずの風景に既視感を憶えるとは、まるで綾の辻を(禁則事項です!!)。
 この話は過去へのベクトルを持っているとはいえ、ここでそれが転化されているのは面白いところですね。過去の「彼」が書いた「未来の夢」に触れることで、鈴成先生の中で過去が清算される。ようやく、彼女も過去を振り切ることが出来たようです。
 また、鈴成先生の話と表裏一体をなし、アスミの物語も進展しているというのも注目すべき点です。こちらも「ライオンさん」という、過去に一度見た幻影を追っている。しかし、鈴成先生が過去を見た同じ場所で、アスミは未来を思い描いている、というのが決定的な相違点です。そして後日、廃線のそばでライオンさんと邂逅。えーと、私、以前出した、一話で出てきたライオンさんと、それ以降のライオンさんは別の存在ではないか、という仮説をまだちょっと信じてるんですけど(笑)、今回の話をこれに組み入れてみましょう。アスミがライオンさんという先導者の存在を渇望しているとはいえ、それは何らかのトリガがなければ発動しません。その発動条件が、今回の「ロケット」との邂逅だったのではないでしょうか。また、あの場ですぐライオンさんが現れなかったのは、とりもなおさず鈴成先生がいたから。本当の「ライオンさん」を知っている彼女がいる場では、アスミの空想の中でのライオンさんが出ることは許されません。あくまで、アスミがひとりでいるところで、彼女だけの固有体験としてその邂逅はなされなければならないからです。そして、本来この世に存在してはならないものが顕在するためには、ある種の誓約=制約が必須です。それが、鈴成先生が過去を振り切ったかわりに、ライオンさんが過去に束縛されるというものなのでしょう。
 まあ、こじつけとか曲解とか言われても気にしません。これも私の仮説のひとつなのですから。物理研究とかと違ってアニメ(あるいは小説)感想のいいところは、どれだけ無茶な仮説を出しても誰にも怒られないところですからね(笑)。誤読(事実誤認)すら、「観測者原理」という最強の呪文の前には正当化されます。作品というのは、世に出た瞬間にその作り手のものではなく、受け手のものになるのですから。制作者がどう意図しようが、自分はこの作品にこういうものを見た、その事実は動きません。「感想は自由だ」なのですよ。

 ということで。その御旗のもと、以下率直に、私が観たものを述べます。ただし言っておきますが、ろくでもないので、読み飛ばすことを激しく推奨します。

 ラストシーン、無声映画パートふたたび。発作で汚れた手を見るまりかちゃん。ひょっとして、冒頭とこのシーンをこういう演出にしたのは、赤い血を流せないという規制のせいでしょうかね(テレ東でそういう規制があるのは有名ですが、NHKでも「ポワロとマープル」での死体の描写が淡白だったりしますし)。しかし、そのせいで私が連想してしまったのは、「最低だ、僕って」みたいな。ムセイだけに。

 ……すみません、すべては月曜のアニメ夜話(と滝本竜彦)のせいなんです(責任転嫁)。

投稿者plateau: 2005年03月31日 10:45 [2005年1-3月アニメ感想] [アニメ/ふたつのスピカ]