2004年05月06日(木)

「ふしぎの海のナディア」(再)第5回 マリーの島(NHK教育)感想

「しーらないのー?」(マリー)

 ジャンとナディアが乗った飛行機は、突如砲撃を受けて島に墜落する。その島でふたりが出逢った少女マリー。彼女の両親と飼い犬は、砲撃の主とおぼしき謎の集団によって殺されていた。何も知らないマリーとともに、ジャンとナディアは追っ手からの逃避行を続ける……。

 しかし、これだけ主人公たちが無力な作品も珍しいですね。いや、もちろんGAINAXらしいといえばいえますけど。
 このタイプの作品としては常道ですが、ナディアとジャンにはそれぞれ「情の人」「理の人」という相対する役割が与えられています。それらが互いに補完しあい、能力を生かしあうことで困難を乗り越えていく、というのがセオリィなのですが。
 第1回でナディアを助けてからは、ジャンの発明もそれほどの役には立っていません(2話に顕著)。米軍艦に助けられたり、ノーチラス号に助けられたりと、能力の発揮が出来ていません。ノーチラス号においては、好奇心という才能の芽すらも摘まれてしまっています。
 いっぽうのナディアは、さらに無力感が漂います。殺生を激しく憎みながらも、死の概念を理解できていないマリーに両親のことを訊かれ、後の絶望を生むことにもなる希望の言葉を投げかけるのみ。このシーン、対するジャンは「理の人」であるからしてまったく言葉を発していないのもそれに輪をかけます。
 しかし、これで一話が終わってしまっては、カタルシス機能が果たせずに作品が破綻してしまいます。ラスト、ジャンとナディアがマリーの両親と犬を墓に埋めにいき、翌朝マリーに真相を告げるシーン、これがもっとも肝要です。一見残酷な話ですが、これがなければ話が閉じません。そして、このとき墓を掘ろうとしだしたのがジャンだというのが重要。「理の人」であるはずのジャンも、当然のことながら人間としての複雑性を備えていて(そして、それはおそらく現状ではナディアよりも帯域が広い)、だからこそ敵に見つかるかもしれないという論理的判断を超えた行動を起こし、それが視聴者の胸を打つのです。そして、ナディアがマリーに両親の死を告げた際、自分も両親のところへ行くというマリーに、「行けないんだ」と諭すこと、これがこの物語で彼に課せられた使命なのです。

 ……と、にわか評論家ぶった文章を書いてみるテスト。まーガイナ作品だしね(こればっか)。

投稿者plateau: 2004年05月06日 01:18 [アニメ/ふしぎの海のナディア]